雑記-2019/11/07

 

 

 

*短い

 

言葉にすると、写真を壁に固定するみたいに、未来永劫その場にとどまり続けるものだと思っている。できれば言葉にしたくない。感情の話。抱いた気持ちはいつだって一過性だから、いずれ消えてしまう。それなら言葉にしなければいい。あんなもの嘘だったと思い込むことすらできる。

謝罪の言葉を口にしたくない。これは、まぁ、独善。代償は多分、謝罪をされても嬉しくないこと。言葉にすることなら誰だってできると思う。本当にそう思っているのなら静かにするべきだよな。幾度となく思ったこと。口にすることは、犯したことへの償いにはならない。なるという前提で色々なものが動いていて、なんとなく憂鬱だと思っている。

謝らなければいけないことを抱えたまま生きることが真の償い。いや、厳密にはそうじゃないのかもしれない。でも、抱えることには意味があると思っている。吐き出したら、それで終わりのような気がしてならない。抱えて、間違えたことを一生覚え続けて、それを積み重ねて、段々と無害な人間が構成されていく。

言葉にすることが怖いな。そう思うときがある。それらは、厳密にはぶれているだろうから。辞書1冊、たったあれだけの分厚さで、この世の中の全てが言い表せるとは思えない。言葉にしてしまうと、所詮、雑に噛み砕いたものの組み合わせ程度にしかならない。だから、言っても仕方のないことは言わないほうがいい。大丈夫、ちゃんと伝わる。そう自分に言い聞かせている。

 

 

 

雑記-2019/11/2

 

 

 

*オレンジに触る

 

手紙を書くのは、懐かしいと思うことを肯定するため。触れては流されていく毎日の中に、ふと、記憶と重なる瞬間がある。オレンジ色と呼んでいる。本当にそう見えるのでもなんでもなくて、自分の中ではそれはオレンジ色であってほしい、という願望。

追いかけてみたい、という衝動。それが浮かんでは消える。いつだって追いかけてみたいと思うけれど、どこにだって行けるから、どこにだって行けない。散々話した。

過去に戻りたいのでもない。記憶を消したいか、と訊かれたとして、多分、頷かない。永遠に知り得ないことの存在は、いつだって背中を押してくれる。

好きなものは、たいてい、何気ないなと切り捨てられる。心の底から愛していた原風景は、人にとっては、どこにでもあるような、つまらない写真。分かっているのに、それでも、心臓に触れることを許してみたくなる。自分の見た景色を、こんなに綺麗だったんだと思わせたかった。今だって、思わせたいと思っている。それ以外に、手紙を書く理由なんてなかった。

見たままの景色は、どうにも思い出せない。心の底にわずかに残ったオレンジは、それでも、言葉にすることができる。だから、言葉にする。言葉にして、ひとつの手紙にして、無差別に世界中にばらまいた。何枚だって、手紙をしたためる。それを増やして、ボタンひとつで心臓を渡す。どうか、読んでほしい。

 

伝えたいことなんて、いくらでもある。今さら無様に足掻いたって、本当の意味で伝えられることはない。でも、せめて、自分がそこにいるという事実だけでも、誰かに知ってほしい。そう思って、そう思うから、何度だって言葉にしている。橋の上から見上げた夕焼けを思い出して、心を抉り取られるような痛みを感じることも、安物の芳香剤の匂いに触れるだけで、思い出に押しつぶされそうになっていることも。あのオレンジ色を知ってほしい。たったそれだけだ。たったそれだけの願いが、今の自分の背中を押している。どうか、知ってほしい。二度と取り戻せない一瞬のせいで、人生を作り変えられてしまったこと。手紙は、それを独善的に伝えるためのもの。他に存在意義はない。

 

 

 

雑記-2019/10/21

 

 

 

プラネタリウム

 

文字を読むのが苦手なわりに、書くのは好きな方だ。深刻な活字アレルギーを患っていて、例えば半年ぐらい前に買った蜜蜂と遠雷をまだ30ページも読んでいない。

書くのが好きだというのに、日記は続かない。さて日記でも初めてみるかと思い立っても、その意志は3日が過ぎたあたりでふっと消える。

読むのが苦手なのも、日記が続かないのも、理由ははっきりしている。自分にとっての言葉というものが、自分の内面を表現するものでしかないから。そもそも読むのが苦手なくせに無理を押して文字を追うのだって、書くための努力に他ならないし、それ以外ほとんど何もない。これは、まぁ、撞着的な話のような気もするけど、ハンバーガー屋でバイトしている人が自分はハンバーガーを食べないのと同じだと思っている。

言葉でなくたって良かった、と思う。自己表現の舞台は別に言葉に限らない、という意味。それでも、言葉は手っ取り早かった。手っ取り早さが欲しかった。そういうものを求めるぐらいに、自己表現をむやみに振りかざしがっていた。

自己表現という言葉は、子供っぽいと思う。表現できる自分なんてものが、そもそもお前の中に存在するのか? 訊かれれば、返答に窮して、きっと押し黙る。本当のところは、紛い物の達成感に浸っていたいだけだと思う。言葉は借りることができる。借りるなんて言葉を使っているくせに、本当は盗んでいる。借り物の言葉を、さも自分の内側から浮かんできました、みたいな顔をして得意げにひけらかす。

言葉のことは、本当は、別に好きでもなんでもない。愛の正体は、きっと、自己愛。考えれば考えるほど、なんだか悲しい。せめて、人類の大勢が、同じようなことで悩んでいたらいいな、と思ったりする。それなら、自分も、その他大勢も、同じ穴の狢だ。

言葉についてひたすら考えるこの生活は、はたしていつまで続くのだろう? どこまで走っても、どこまで戻っても、借り物で息をつなぐ生き方からは逃れられない。本物の自分が紡ぐ言葉は、多分、くだらない。目を背けるために、盗んできた言葉たちで、視界を塞ぐ。8方向を覆ってしまえば、いつかその思い過ごしにも時効が来る。

ちょうど、星が見えなくなる日についてのことを思い出す。空が濁って、星が見えなくなって、そんなものがあったこと自体も忘れてしまうような日が来たら、人はプラネタリウムをどう思うのだろう。多分、ここの天井は汚れているな、とか、そういうことを思うんじゃないだろうか。それの何がどうというわけではないけれど、でも、きっと、紛い物の星を本物だと思ったりもするんだろうな、という話。

 

 

 

雑記-2019/10/20

 

 

 

*抹茶味

 

気づくと手癖で酒缶をあけている自分がそこにいる。酒は好きでも嫌いでもないけれど、口に含んだそのあとに広がる世界が好き。安酒の缶を空にする理由なんて、酔うため以外にはない。誰だってそうだと思う。ちなみに、高いお酒はときどき美味しい。

酒に弱い方なのも、いい方向に作用している。酔うと幸せ。簡単に酔える。酒を買う理由たり得る。それから、たまに、ご飯が美味しくなる。音楽を聴くのが、普段の何倍も楽しくなる。いいことずくめだ。

アルコールを飲んでいるつもりが、いつの間にかアルコールに飲まれているというのは、つまりこういうことなのだな。たまに考える。アルコール漬けの毎日は、それでも酒がないよりマシだ。これがない世界にいたら、多分、死ぬとは言わずとも、空っぽになっていたと思う。

一時期、木屋町にある公園で鴨川をぼんやりと眺めるのにはまっていた。はまっていたというか、そうでもしないと耐えられそうになかった。空っぽになる時間が必要だった。好きな音楽を聴いて、張り裂ける夕焼けを眺めて、悲しいとか吐きそうとか、そういう感情をその場に捨てて、どこかへ歩き出す。公園は、誰かの感情の掃き溜めだと思っている。ベンチに先客がいることが、何度かあった。一度だけ黒猫で、それ以外は、空の酒缶とか、タバコの吸い殻とか。ああ、あれは誰かが捨てていった感情なのだ。思って、酒缶の隣に座ったり、あるいはベンチを諦めたりする。

ただその場に缶を置いていきました、というのは、なんだか寂しい。できれば、自分の知らない記憶へとつながる扉、その鍵だと思いたい。鍵なんてものは、道端の至るところに落ちているものだと思う。その鍵を使って開けることのできる扉がどれなのか、ただそれがわからないだけで。

永遠に知ることのできない記憶があることは、やっぱり寂しい。例えば、電車に乗っている全員にも、それだけの年数を生きてきた記憶がある。それを思って、夕焼けみたいな苦しさを味わうことがある。公園に酒缶を置いていった人は、どういう気持ちで同じ空を見上げたのだろう。自分と同じような気持ちで、ただ何かから逃げたいと願うから酒を飲んだのかな。夜空は、きっと綺麗だったと思う。何にせよ、永遠に知り得ない。

 

 

雑記-2019/10/14

*リユニオン

 

小学校のときの同級生が、明日誕生日を迎えるらしい。そういう通知が来た。

小学校の頃に連絡先を交換したっきりだと思う。それでも、幾つもの電子機器の引き継ぎを運良く生き延びて、連絡先は澄ました顔で携帯電話に居座っている。いや、多分、連絡先自体は生きていない。メールアドレスは変わっているだろうし、電話番号もそのままではないかもしれない。だから、正しいのはきっと誕生日だけ。

同じ窓の会と書いて同窓会。それはそうかもしれない。同じ窓を眺めていた。あるいは、同じ窓の外を眺めていた。窓の外にどんな風景が広がっているのか自体は、どうだっていい。同級生の顔を思い出せないのは、みんなで窓の外を眺めていたから。

会いたいとは思わない。会っても話すことなんてないし、きっと気まずい。それに、会いたいと思うのなら、とっくにそういう機会を探している。結局、一生会わないままなんだと思う。それでいい。それでいいのかな。たぶん、いい。

10年の歳月に、それでも引き剥がされまいと抵抗する意志と力があるのは、それはとても素敵なことだと思う。心の底から会いたいと思える人間がいるのは、恵まれていると思う。懐かしいことを、ただ、懐かしいと笑いあえるような感性は、どこかに置き忘れてきてしまった。会いたいなんて、話がしたいなんて、そんな見え透いた嘘をつく理由は、どこにもない。理由がないのは、なんとなく悲しい。悲しくないことを悲しいと思えるだけ、ほんの数センチ、恵まれているのかもしれない。

 

 

 

*コルクボード

 

中学の頃、骨折をした日付を覚えている。偶然、誕生日だったから。

だから、あのとき骨折をしてから何年が経ったかを、正確に計算できる。

中途半端に歳をとってしまうと、あれから何年が経ったのだろうと考える瞬間が増える。あれは2016年だったかなとか、もう1年先だったかとか。

たとえば3年が経ったという事実があったとして、それはあまり意味のない事実だと思う。多少の限界はあるかもしれないけれど、時間は伸び縮みをする。同じ一ヶ月でも、秋はやたらとのんびりしていたり、3月はライオンだったり。

指折り年月を数えていると、なんとなく懐かしい。3年前と今。おそらく、何もかも違っている。比べることができたら、楽しいのかもしれない。今更そんな願いは叶わない。

懐かしいということは、それが手に入らないということ。確かにそうだと思う。胸元までせり上がった懐かしさは、それでも、風邪の日の夕方のニュースみたいな、暖かい色をしている。夕焼けを綺麗だと思う理由に似ているのかもしれない。

二度と手に入らない夕焼けを写真に収めたくて、夕日に向かってシャッターを切った日のことを思い出す。いくら忘れたくなくても、まっすぐに忘れていく。たとえばアルバムの質量は、記憶の重さではなくて、忘れないようにと祈った願いの重さだと思う。

偽物だとわかっていても、現像されてプリンターから出てくる写真が好きだった。写真を貼ったコルクボードは、次第に体温を失っていって、やがて、冷たくなった。そういうものだと思う。

 

 

停滞

どこかで息をしている。なんとなく、憂鬱な気分になる。本気で手を伸ばせば届いてしまう距離。遠いと思う。

一緒がいいというのだって、いくらか都合がいい。いつだって一方通行だ。思うのも、思われるのも。言葉にする勇気も、そもそも意味もない。言えなかったことが積み重なったとして、言えなかったことに助けられている。その程度の生き物だと思う。

置き去りにして進む世界を、別にいいと吐き捨てる。無理をすることなんてなかった。結果として、ちゃんと生きていけている。踏み外してなんかいない。

吐いた空気を誰かが吸っている。そういう風にして繋がっているのが、世の中の断面図だと思う。否応がなく繋がっているのは、とても正しいことだ。数珠繋ぎにして届く先が、知らない人だったり、知っている人だったり。

助けられている。助かっている。同じ毎日を繰り返す理由、それが見つけられなくたって、それでもあちこちを彷徨いながら生きていけている気がする。どん底でもトンネルでもない。視界がはっきりしないのは、どこまでも広いから。どこまでも広いというのなら、見えないところで、どこかで息を続けていてほしい。ふと思い出したときに、それが生きる理由になればいい。その程度の憂鬱さがちょうど良かったりする。

定員オーバー

背中に乗ってるものが多すぎると思いの外簡単に倒れる 誰でも知っている 思っていたよりも自分が弱くてなんだか幻滅する 自分嫌いじゃない それでも過去の自分を嫌いになっていくのは、単純に過去の自分に嫌いな要素が揃っているから 本当にどうしようもないやつだった 変わったと信じたい どうしようもないやつだった自分と話してくれた人間のことを思い出す それが世界のシステムなら、恩返しぐらいはしなきゃいけない 恩返しまではいかずとも食べた分の料金ぐらいは払えよという話

会ったら嫌いになんてなれない 顔のついている人間を嫌うのは俺には難しい それなら会わなきゃいい 会わないのだって難しいけれど、嫌うことよりは簡単だった 遠ざかって、どこまでも遠ざかって、他人になればよかった 必要な代金を支払ったその先には、正しく報酬が用意されている そういうものだろう 幸福、不幸 そんなことをいちいち考えない世の中がいいな 思って、架空の紫煙をふかす

降りかかる不幸を、憂鬱なんて言葉でごまかしちゃダメだ 言えばいい、なんて言葉の軽さをよく知っているのなら、それは正しい うまく伝えられないもどかしさも、うまく伝わってくれない苛立ちも、全て世界のルール まっすぐ伝えることなんてできないし 伝えずにのうのうとのさばられるのも癪に障るし 仕方ない、これが世の不条理だ、なんて、やっぱり軽い 伝えられないのなら逃げる、それだけ

聞きたくもねえよ 背負わされていいのは、了承をしたときだけでいいのに 許可を出していないのに勝手に二等分 もしくは二倍あればいい そんなこと言っていない 知りたくもなかったこと、知って損する事実 耳をふさぐか、なかったことにすればいい 溜め込んで別に爆発はしない 保険みたいに、打算で二分割を受け取る必要はない

とっくにそういう時代は終わっているんだ 歳をとりすぎた じきに赤色になっていくだろう その中間で、どっちに行こうか迷うのも、迷わずに行きたいところへ進むのも自由 どっちが自然な方向で、どっちが逆流なのかなんて、わかるだろ

過去に何があったかなんて、今とは関係がない 切り離して考えるべきだ 恩、打算、支払い、貸し借り、いずれも馬鹿げている ただ重たいから振り払いました それでいいだろ それ以上も以下もない