ゴーストランドリッケンバッカー

随分つまらないことで悩んでいるな、外側から見ればだいたいそう思える。いつか過去の自分が復讐しにやってきて、目でもくり抜かれるんじゃないかという恐怖と今日も戦う。でも実際つまらない。つまらないのはそれが簡単に移り変わるところ。消費税じゃないんだからそんなすぐ切り替わられても困る。忘れないと生きていけないことは、本当は忘れちゃいけないこと。どうすればいい?

声に出しても腹の底のそれが出て行くわけじゃない。結局心のうちに溜め込んで、勝手に爆発して、嗚呼あいつも終わったよと陰口を叩かれる。忘れたいな。簡単に忘れられないから苦労している。本当に。脳裏に刻まれているとか表現するけど、あんな風に、一度怪我したところの傷は癒えても、怪我したことの証拠はいつまでも残り続ける。自分にしか見えないからタチが悪い。

傷つけられたから離れている。ごく自然の防衛反応だと思う。そんなものだ。別人であるという救いようのない事実に救われている。意識的に離れてみて、やっぱり負担でしかないと余事象的に意識させられるときが多い。ひとりでいるのは寂しくて、でもあの死に損なったみたいな冷たさの風が好きなのだ。

放っておいてくれなんて言わない。一人にする時間を選ぶ権利ぐらいくれなんて言わない。言えそうもない。そういう人肌を本能的に欲しがる自分と戦っている。本当は大勢でいるのが好きで、楽しくて、誰かと時間を共有するのも悪くなくて、でも、同じぐらい、冷蔵庫にいる時間が必要なのだと思う。冷やさないと腐る。朱に交われば赤くなるのなら、どうか、何にも交わらない時間が欲しい。そうでもないと生きていけそうにない。空から愛が降ってくるのなら、それを外へと弾き出す傘が必要だったりする。本当に必要だったのは、無償のそれらを排水溝へと流し込む道具。あるいは、それらが無残にマンホールの下へと流れていくのを眺める、あの死にたくなるような時間。

 

 

 

分かるか?

 

 

 

信じて疑わなかった

たまに感性がバグる。自分が心からいいと思ったものを誰かが風に飛んできたチラシみたく踏みつけているのを見たり、これは別にどうでもいいなと思ったものを誰かが過剰に褒めたくっている。

こいつらは不勉強だという言葉が口をついて出る。不勉強というか、幼稚だなと思う。そんなありきたりなものに価値はないと拗ねてみたり、単純につまらないからと視界の外に追いやったりする。

言いたくないことを言わない癖がある。周りの人間は思ってもみないことを平然と口にしている気がする。自分にそれはできない。優しい嘘はつけない。押し黙るしかない。それで、よく押し黙っている。あるいは、さりげなく他の話題にすりかえたりする。

お前の感性がおかしいだけでは? いや、物書き界隈の人と感性があうので、そうでもないのだと思う。単純にまわりにいないだけ。それは何だか悲しい。

俺は俺が一番正しいのだと思っている。まわりに俺より真摯に向き合っている奴は多分いないから。同様に、救いようがないとも思っている。状況が、だ。一番真面目に積み上げている俺ですら何かを間違えているんだったら、もう何を信じればいいのかわからないだろ。

言わないことばっかりだ。くだらねーとかしょーもねーとか浅はかとか、そんなの言った側も言われた側も不幸になる。何も言わないのが正解。じゃあ、口、要らなくない?

思うんだよね。無理なんてしなくていいし、無理やり開いた口から出るのが嘘か本当かなんて見ればわかる。黙ってればいい。喋る必要ない。意味ないし。おためごかしじゃ何も変わらんだろ。

いや、何で俺男子大学生なんだろうな。それなら中身とか感性もそれ相応の鰯みたいなのに挿げ替えてくれよ。そしたらいくらか話もあっただろうし幸せだっただろ。本当にね。ほら夜が明けた。

メリーゴーラウンドが悲しい夜

あざやかなアルコール漬けの夜に転がされる。灰色の天井は都会の空のように濁る。口ばかり立ってどうしようもない夜のことを思い出す。切り替わって朝、指先から熱が抜けていく。退屈が部屋を溶かす。それを元通りにするのに、時間がかかる。

パステルカラーが良かったと思う。近づこうとしていた。好きな色を欲張って混ぜ込んで、出来上がった色は大抵胸やけのする色だ。ふと考える。たった一色きりを残して、他の色が視界から消え去ってしまうのなら、何色がいいか。

刺してもちょっとやそっとじゃ気付かれない赤色のナイフがいいか。それか、風船の中を泳ぐ空色。綺麗だと思う。緑なんかも、世界が終わった後みたいでいい。

失ったものを、取り返しがつかないと泣きわめく前に、他にやるべきことがあった。先回しにしていると、そんなことが初めから世界のどこにも存在していないみたいに思えて、気が楽だった。どんな色をどれだけ失っても、最後の最後に残る黒。もう季節だって忘れている。忘れたいことを忘れてしまうのが、何よりも悲しい。

薄暗い部屋で、メリーゴーラウンドを外から眺めるみたいに、黒い画面を見つめている。期待が過去になる瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。行き止まりを怖がりながら、その実そんなものがあった方がよほど幸せだと巡らせている。ドアノブを握る力がなかった。窓を開けるのは、埃が立ってどうも気が進まなかった。換気口の口は、都会の空気は汚いからと、コピー用紙で塞いでいる。切れかけの白熱球がちかちかと騒いでいる。

パステルカラーが良かった。上から塗り重なって、何にでもなれる。色がついてしまっているのなら、できるだけ混じりけがなければいい。幸せの鋳型に溶かして、絵の具を混ぜて再構成してくれるのなら、それが本望だった。刺した注射針の数で正解か不正解かが決まる世界が良かった。

メリーゴーラウンドを見ている。がなり立てるライトの白昼夢を見ている。柵の向こう側にある夜明けを見ている。膜一枚を隔てた向こう側で回る誰かを見ている。薄暗い部屋で、鮮やかなアルコール漬けの歌を歌う。今はもう、ただ歌っている。

ハイスコア

本来なら総評にでも書くべきことなんじゃないかな。でも、あれは読まれる前提で書いてるし。聞いてほしいというより聞き流されたいのでここに書く。

校正、何だかなぁと思う瞬間が増えてきた。やった方がいいし、むしろやらなきゃいけないことだと思ってるんだけど、でも、何かね。各々、間違った方向に進んでるよな、と思うときがある。

目的を取り違えてるんじゃないか、と思ったりする。目指すべきことは質をよくすることであって、間違い探しじゃない。例えば代案のない校正ポイントとかを見て、お前それはないだろ、と思う。どうして間違っているかを説明するのは作者を納得させるためであって、キルをとった事実を誇らしげに主張するのは食い違っている。何かを読んで気持ちが悪いなと思ったりするときがあって、そういうのに赤ペンを入れるけれど、大体そういうのは感性の問題だし。そもそも普通の読者は飛ばし飛ばし文章を読んでいくから、ゆっくりと注意深く読んで粗を探すことは手段として間違っている。読み飛ばされるところの誤謬を修正したところで大した質の向上にはつながらないし、ゆっくり読む前提で間違いを正していくことは傲慢でもある。普通の読者はそんなにだらだら読まないんだって。ゆっくり読んで構成するってことはゆっくり読んでくれる前提で修正するってことに他ならないし、そんな物好きははじめからこの世に存在しない。存在するとでも思っていたのか?

なんか違うな、って思ったんだよな。ハチャメチャな数の修正が加えられたそれって、そもそも修正なんですか? 自分の感性をものさしにしていないですか? それが悪の根源だって、大人になったら誰でも気付くことだろ。だから、本当に間違っているところだけは何とかしてあげて、あとは別に放っておけばいいなって思ったんだよね。見捨ててるわけじゃない。正しい方角を見ているだけ。妥協とかですらない。間違ってる、って思ったとして、それは全員にとっての間違いとも限らないだろ。見落としでもなんでもないなら、それが共通認識として誤りだと捉えられるはずだ、って、視野が狭すぎやしないか。

そう思って、神経過敏な校正をやめた。本当に良くないところだけは直してもらって、それ以外は言わないことにした。そういうポリシーでいればいるほど、今まで自分がいかに独善的にペン入れをやってたのかってことを知ることになった。作品の質の向上とか、画面の向こう側でこれを書いていた人のこととか、何にも考えてなかったんだよな。自分が「これはよくないな」って思ったものは、大体、感性の問題ってひとことで処理できた。あるいは、向こう側に立ってみて、苛立ったりもした。相手のこと考えてるふりじゃねえか、って思ったよな。

そういう話。

ニムロッド

 

本物と偽物の違いが分かるか?

 

何を元手に話を書くのだ? 一度ぐらいは考えたことがあるだろう。書きたいことがあるというのは最も原始的な返答で、そして答えになっていない。その理屈は逆のはずだ。何かが先んじていて、それで書きたいと思えるのだ。

何を物語に移し替えるのだろう? 経験? それ以外? どのような理屈を辿ったとしても、その基盤となる何かの存在を否定できない。何かが種になっていて、そこから茎が伸び、葉が映え、時には花が咲いたりもする。

その種は何だ?

何が種から芽を出させた?

植物を育てるのは誰だっていい。何だっていい。

種は、種こそ、自分自身の鏡じゃなきゃ駄目だ。

偶然掴み取ったような、嵐の通り過ぎた朝、右手に握られていたような。

それ以外を、世界とは呼ばない。呼べない。

 

もう一度訊く。

本物と偽物の違いが分かるか?

ちゃんと分かる。誰にだって分かる。誰にだって分かるから、俺にだって分かる。そんな権利がある。

 

希望について

いくら自分の好みのものが書き上がっても誰も共感してくれなければまぁそういうことなんだろうと思う。思う、じゃなくて、思わなきゃいけない。自分だけが作品の良さを知ってるなんてことはないし、周り十数人に訊いてみて無反応だったら、まぁ、大したことはなかったんだろうなと考える。どうとも思ってないものには口を紡ぐしかないし。自分にさえ面白さがわかればいいなんて思ってるんなら、それこそ文字にする意味はないし、大体、自分だけわかればいいなんて傲慢すぎる。自分だけ特別と思ってんの? まぁ、ものを書くのには向いてないと思う。自分だけわかればいいなんて思っていた昔の自分のことはもう思い出したくもないな。うん。大丈夫、別に飛びぬけてないものになんて誰も反応しないよ。ちゃんとわかる。周りの無言と沈黙が、お前のやったことは大したことじゃなかったんだ、って物語ってくれる。何も言われないというのはそういうこと。自分はこれが好き、ということと、作品の絶対的な価値とか良さとか面白さとかとは切り離して考えるべき。いい加減学習したいね。