幽霊

 

 

言葉というのはあなたの手中にすっぽりおさまるものでは到底ないのです、と言いたげな表情でも浮かべながらこういう記事を書いていて、その実中身なんてないのだ、ということを薄々分かっている。中身がない? それはなんとなく違うような。伝えたいことなんてひとつもない。そう表現するのが正しいな。

言葉が好き。言葉遊びが好きなのではない。言葉が好きだというのは、伝えたいことがあるから。でも常々、言いたいことはそのまま口にしたくはない。誰しもそうじゃないか? どうせそのまま直で伝わってくれることはないのだから、その先をどうするか、という話かもしれない。できるだけ伝えることに重きを置いて言葉を手繰り寄せ続けるか、どうせ不可能なのだからと諦めてしまうか。後者を無意識に選び取って生きている。そういう不安定性に救われてきたから。

理解なんて結局、どれだけ時間をかけたかの証明でしかない。なんとなく素っ気なく扱われて、それで私はあなたのことを理解しましたよと言われても、それは嘘なんだろうな、きっと自分のことを分かるところ分からないところ全てまとめて包み込んでくれようとしているのだ、いい人だな、ぐらいにしか思わない。理解をされたいのなら、それなりの時間をかけてくれるような、そんな媒体を想定すべきで、だから難しいようなファジーな言葉を連ねて連ねて連ねて、最後にはよく分からないものができている。よく分からない。いや、言いたいことはなんとなく分かるんだけど、伝えたいことがあるんならもう少しはっきり言ったほうがいい。ごもっとも。でも、伝えたいことがあるわけじゃないから、それでいい。ちなみに、言いたいことがあるんならはっきり言えよ的な言葉、あれが本当に苦手で、同年代の人間がそういうことを言っていたり思っていたりしたらお前の20年はその程度なのかよと心底がっかりしたりする。ごめん、関係のない話。

言葉というものはあなたの手のひらにすっぽりおさまってくれるような、そんな無機的で固形的なものではないのです。それは分かるはず。言葉には必ずしも目的が必要なわけではない。それもそう。でも、理解はされたい。わかりやすい言葉はいつだって記憶の中をするりと通り抜けていくから、わかりにくい言葉を使って、わかりにくい主張をする。それだけ。そういう言葉たち、わかりにくいけれどなんとなく言いたいことは分かるような言葉たちに救われてきた。誰かの救済になんてなれないしなりたくもないしなりかたもわからないから、別に誰かを救う目的で書いているわけじゃない。歌詞だとここで救いたいのは自分だったみたいな言葉がくるんじゃないかな。別に自分を救いたいわけじゃない。自分が一番どうでもいい。書くのが好きなんだ。吐き出したそれを見せびらかすのは、安易に理解なんかしないでくれという意思表示でしかなくて、そもそもそんなことをしなくても誰も理解したふりをしない。それでいいと思う。

理解されたいと言葉を連ねた結果として理解されることを拒んでいる。本当は、理解される必要なんてどこにもないから。実体があったのは世界とか言葉のほうで、手のひらをすり抜けるなあと思っている自分のほうが透明なんだと思っている。なんとか伝えようと言葉を連ねている文章を見ると、いい人なんだなあと思う。透明になるまいともがくのは、きっと真摯に生きようとしている証。じゃあ自分は? 最初から諦めている。そのほうが楽だから。どうせ自分は理解されないのだと世界に背を向けて神羅万象に愚痴を言って、本当はたやすい努力で理解されてしまう軽さの自分が嫌いなだけ。平易な言葉で本質を言い当てられるのが怖いだけ。私という人間は到底あなたの理解するところには及ばないのです。それ、嘘じゃない? 私という人間はすっぽりあなたの理解するところにおさまってしまうのが怖いから、透明になってすり抜けて、あなたの手のひらから逃げ続けているのです。正解。それでいい。傷つく人間は少ないほうがいいのだ。

 

理解されてみたいですか? 解釈されてみたい? 解釈されるためには、自己主張が必要。自己主張を聞いてもらうためには、説得力が必要。説得力はどこに付随する? そもそも、言葉に耳を傾けてもらう努力が必要なのでは?

生活とはつまり、というか人生とはつまり、その努力のための空き時間でしかないよなあ。勘違いしちゃいけないのは、内容の是非よりも説得力だということ。知っている。承認に飢えているとか、そんなのは本質じゃなくて、要するに承認とは自分都合のための通貨である。言いたいことがあるのならはっきり言え? 違う。言いたいことがあるのなら、伝えかたどうこうじゃなくて、それ以前に努力をしておくのが正しい。はっきり言ったって、伝わるわけじゃない。よく知っている。人間は選ぶことができる頭のいい生き物だから。選ばれるのと選ばれないの、その両者の違いを眺める。それが正しい生活の使い方。言いたいことがないのなら、それはきっと幸せなことなのだ。

伝え足りないなと思うこと。伝え損なったなと思うこと。多すぎる。時間はやっぱり足りないままで、その空白とか不足とかがそのまま壁になっている。理解はしなくても繋がっていられるだとか、そんな寂しいことを言われたら困る。理解に費やした時間が少なすぎるだけなんだ。意地を張っても仕方がない。理解されたいのなら理解しにいく。それだけのことが、なんだか必要のない感情たちに邪魔をされて、できない。寂しいことだと思う。言葉にする。それだけで、きっと重なっていける。言葉にすることを諦めたら、本当に幽霊になってしまうだろうから。どうか恐れないで。