雑記-2019/11/2

 

 

 

*オレンジに触る

 

手紙を書くのは、懐かしいと思うことを肯定するため。触れては流されていく毎日の中に、ふと、記憶と重なる瞬間がある。オレンジ色と呼んでいる。本当にそう見えるのでもなんでもなくて、自分の中ではそれはオレンジ色であってほしい、という願望。

追いかけてみたい、という衝動。それが浮かんでは消える。いつだって追いかけてみたいと思うけれど、どこにだって行けるから、どこにだって行けない。散々話した。

過去に戻りたいのでもない。記憶を消したいか、と訊かれたとして、多分、頷かない。永遠に知り得ないことの存在は、いつだって背中を押してくれる。

好きなものは、たいてい、何気ないなと切り捨てられる。心の底から愛していた原風景は、人にとっては、どこにでもあるような、つまらない写真。分かっているのに、それでも、心臓に触れることを許してみたくなる。自分の見た景色を、こんなに綺麗だったんだと思わせたかった。今だって、思わせたいと思っている。それ以外に、手紙を書く理由なんてなかった。

見たままの景色は、どうにも思い出せない。心の底にわずかに残ったオレンジは、それでも、言葉にすることができる。だから、言葉にする。言葉にして、ひとつの手紙にして、無差別に世界中にばらまいた。何枚だって、手紙をしたためる。それを増やして、ボタンひとつで心臓を渡す。どうか、読んでほしい。

 

伝えたいことなんて、いくらでもある。今さら無様に足掻いたって、本当の意味で伝えられることはない。でも、せめて、自分がそこにいるという事実だけでも、誰かに知ってほしい。そう思って、そう思うから、何度だって言葉にしている。橋の上から見上げた夕焼けを思い出して、心を抉り取られるような痛みを感じることも、安物の芳香剤の匂いに触れるだけで、思い出に押しつぶされそうになっていることも。あのオレンジ色を知ってほしい。たったそれだけだ。たったそれだけの願いが、今の自分の背中を押している。どうか、知ってほしい。二度と取り戻せない一瞬のせいで、人生を作り変えられてしまったこと。手紙は、それを独善的に伝えるためのもの。他に存在意義はない。