ハイスコア

本来なら総評にでも書くべきことなんじゃないかな。でも、あれは読まれる前提で書いてるし。聞いてほしいというより聞き流されたいのでここに書く。

校正、何だかなぁと思う瞬間が増えてきた。やった方がいいし、むしろやらなきゃいけないことだと思ってるんだけど、でも、何かね。各々、間違った方向に進んでるよな、と思うときがある。

目的を取り違えてるんじゃないか、と思ったりする。目指すべきことは質をよくすることであって、間違い探しじゃない。例えば代案のない校正ポイントとかを見て、お前それはないだろ、と思う。どうして間違っているかを説明するのは作者を納得させるためであって、キルをとった事実を誇らしげに主張するのは食い違っている。何かを読んで気持ちが悪いなと思ったりするときがあって、そういうのに赤ペンを入れるけれど、大体そういうのは感性の問題だし。そもそも普通の読者は飛ばし飛ばし文章を読んでいくから、ゆっくりと注意深く読んで粗を探すことは手段として間違っている。読み飛ばされるところの誤謬を修正したところで大した質の向上にはつながらないし、ゆっくり読む前提で間違いを正していくことは傲慢でもある。普通の読者はそんなにだらだら読まないんだって。ゆっくり読んで構成するってことはゆっくり読んでくれる前提で修正するってことに他ならないし、そんな物好きははじめからこの世に存在しない。存在するとでも思っていたのか?

なんか違うな、って思ったんだよな。ハチャメチャな数の修正が加えられたそれって、そもそも修正なんですか? 自分の感性をものさしにしていないですか? それが悪の根源だって、大人になったら誰でも気付くことだろ。だから、本当に間違っているところだけは何とかしてあげて、あとは別に放っておけばいいなって思ったんだよね。見捨ててるわけじゃない。正しい方角を見ているだけ。妥協とかですらない。間違ってる、って思ったとして、それは全員にとっての間違いとも限らないだろ。見落としでもなんでもないなら、それが共通認識として誤りだと捉えられるはずだ、って、視野が狭すぎやしないか。

そう思って、神経過敏な校正をやめた。本当に良くないところだけは直してもらって、それ以外は言わないことにした。そういうポリシーでいればいるほど、今まで自分がいかに独善的にペン入れをやってたのかってことを知ることになった。作品の質の向上とか、画面の向こう側でこれを書いていた人のこととか、何にも考えてなかったんだよな。自分が「これはよくないな」って思ったものは、大体、感性の問題ってひとことで処理できた。あるいは、向こう側に立ってみて、苛立ったりもした。相手のこと考えてるふりじゃねえか、って思ったよな。

そういう話。