乱気流

 

 

 

試験前なので当然ブログを書きたがるんですよね。誰か俺に応用代数学を教えてください。

つらつらと書きます。書きたいことはありません。

 

俺みたいな人間にとってイヤホンというのは友達で、それはもうかけがえのない存在で、家を出てイヤホンがないことに気付いたら慌ててとんぼ返りするぐらいには無いと困る存在だったりします。でも最近はそいつに思考を邪魔されている気がして、そういうわけでイヤホンなしに道を歩いたりしています。道を歩くことは思考の整理の手段として優秀のみならず、無から有を生み出すのにも一役買ってくれるのです。色々なことを思いついて、でも道を歩いている途中にそれを書き留める手段はないから、結局記憶の奥底に無造作に放り投げられて、あくる日道を歩いているときに再び拾い上げられて、みたいなループに陥ります。育児放棄みたいなものですね。それでもそのうち数個はなんとか記憶の淵にぎりぎり引っかかって助かっているので、忘れられることを忘れられたそれらを助ける意味でも、ここに今日思ったことを書く次第です。

 

 

創作について語り始めたらそいつの創作人生は枯れる寸前だ、みたいな文言を目にしたことがあります。わかる。俺は昔から割と創作に関する自分語りをする傾向にあって、もともと枯れかけなのかな、と思ったりもします。随分前からそんなのだから、今更気にすることなんてないんですよね。笑えます。

 

浅い議論をします。浅いです。

センスって何なんですかね? 純粋に疑問なんです。今まで目が充血するぐらいに自分の才能と向き合ってきたわけですが、結局自分にセンスがあるのかないのかわからんのです。

センス。

感じること。

わかりません。

消費者としてのセンスならわかります。目利きの能力だったり、あるいは対象ひとつひとつについていいだの悪いだのを論じることができる。多分それがセンスなのかな、と思っています。

生産者としてのセンス。これがわからない。

わからなくないですか? 結局フィーリングなんでしょうけど、それにしたって曖昧過ぎる。で、曖昧という割にはそうでもなかったりする。感性の問題だとは言うけれど、そうでもなかったりする。

はてさて。センスがないという言葉には2種類あって、というか2種類あると思っていて、①良いものを作れないこと、②良いものもそうでもないものも作ってしまうこと、だと考えています。どうにも俺は②のようで、つまりセンスがない。さらに言ってしまうなら、感性が人と著しくずれているようだ。ここが分からないんですね。

単振動をしているんですね。もとより自信というものがなくて、それでめちゃくちゃビビりながら作品を書くんですよね。すると案外いいじゃんって言われる。それで調子に乗って次の作品を書く。これは前の作品を越えただろと意気揚々他人に見てもらって、盛大に空ぶって体勢を崩す。自信をなくす。一周。

つまり、自分の中で、良いものとそうでもないものを見分けることができない。センスがない。これには本当に困っている。多分病巣は、そもそもどうして良いと判断されたかをわかっていないことにある。わかったつもりになっていて、自分が正解だと思い込んだそれは誤りだったりする。これを5回ぐらい繰り返しています。助けてください。

ひとえに苦しいのは、過去の自分を越えられないことです。他人を越えられないことには諦めがつくじゃないですか。才能だの努力だの時間だの、いくらでも言い訳ができる。でも過去の自分を越えられないとなると言い訳が出来ない。それは劣化ですからね。劣悪と化したと書いて劣化。嫌だなぁ。過去の自分に勝てないスパイラルって本当に救われようがなくて、常に過去の自分に勝る作品を書き続けなければならないのです。無理ですよ。進化し続けろというのです。厳しすぎる。

俺は本当に自信がなくて、終末旅行を書き上げたときも「何やねんこれ」ってぐずってましたし、透明のプリズム書いたときも「なっげー」としか思ってなかったんですよね。本当に自信がない。だから俺に自信をくれる人間のことは本当にありがたいと思うのですが、いい加減センスみたいなものを学習したいとも思います。逆に今回の雨中遊泳だったり、そこそこ前に書いた観察日記という作品とかも結構お気に入りなんだけど、こっちはあんまり評価されてないのよね。俺が本当に書きたくて書いたものはいつだって大した評価を受けなくて、ちょっと苦々しいのです。むろん、そういうもんなんだなと思っています。書き手と読み手で情報量が全く違うのは当たり前のことです。仕方がないんですよね。俺の感性はいつだってずれている。逆に感性がずれているからこそここまでやってこれたんだし。どっちが良かったんでしょうかね。

人に俺の文章のどこがいいかを聞きたいのです。これは自分語り目的ではなくて、俺の中のものさしでは測れないからです。ちょっと前に人と比較してどうかというのを知り合いに聞いたのですが、「世界観は負け、比喩は勝ち」でした*1。これは俺の印象とまるっきり逆で、すっかり困っています。世界観で負けようものならおとなしく引退するしかないと考えていましたから、本当にそんな判決を下されて、雁字搦めでした。でも冷静になって考えてみれば、世界観系男子だとか言っておきながら、それを意識して書いた記憶がないんですよね。事実、そういうところを後回しにしてひたすら暴走するのが俺の悪い癖なわけです。まぁ確かに。世界観を意識するのは難しいですけど、というか本質的に無理な気もするが、でも世界観でぐいぐい押したいんですよね。俺は。事実関係なんて誰にだって書けるけど、世界観は唯一無二です。唯一無二になりたい。逆に比喩なんかどうでもよくて、伝え方の問題だし、確かに比喩は得意科目だけど、でも何だろう、お前ギターのチューニングめちゃくちゃ上手いよな、って言われたみたいな気分になります。そこじゃないんですよね。比喩は手段であって目的でないわけです。

てな具合です。文章上手くなりたいです。

 

明日一限なので、夢とルサンチマンの話だけして終わります。

目標が3つあります。それぞれ大体似通っています。

  • 個人誌出す
  • 有名になる
  • 小説を出す

①どこかで話をしましたかね。個人誌を出したいです。今のところ中身はもうほとんど出来上がっていて、欠落しているのは表紙だけです。どこかで話をしたのでこれ以上は書きません。

ルサンチマンです。有名になりたいです。単純に生きやすさの問題です。部屋にベッドが欲しいとかそういうアレです。有名になることは目標ではありません。過程です。多少名前が通ってたら楽だよなと思います。

③これはマジです。ひた隠してましたけどなんだかんだ人並に小説を書きたいです。本当に。ライトノベルとかそういうのではなく大衆文藝です。とはいえまだ書き始めて3年(真剣に向き合った期間はそれ未満)なので二の足を踏んでます。大体書き始めてから7年あたりが勝負になったりするらしいので、そのあたりを射程に考えています。でもまずは本読めって話ですよね。はい。

 

 

酒飲むと夢の話ばかりするからよくないんですよね。いずれも半分冗談です。

ねます。

 

 

 

*1:世の中勝ち負けではありませんが、それはそうとして勝敗はつけることができます