校正クイズ
もうそろそろ夜が明けますね。みなさんは如何お過ごしでしょうか。
寝ることに理由を求める性分はよろしくないですね。こうやって文章を書かないと眠る決心がつかないのです。いつからこうなってしまったのでしょうか。
簡単に文章を書くと誰かに読んでもらえるだけで承認を得た気分に浸れるので良くないですね。多分僕は寝る前に承認を得なければやってられない体質になっているのでしょう。起きたらこの記事を書いたという旨のツイートがいいねされたという通知が来ているのを眺めるのがやめられなくなっているんですよね。良くないです。手軽に承認を得られるのは不健全だし、承認を得るために文章を書くのもまた不健全です。
昨日「明日こそはssを書くぞ!」と決意を固くして臨んだ今日という一日でした。サボりにサボって、結局書き始めたのは午前3時。しかも20分パソコンの前に腰掛けるだけで飽きてしまって、進捗はたったの700文字でした。少なすぎる。
明日の自分にバトンを渡す、という比喩があります。毎日を「明日の自分頑張ってくれ」という願いを込めて過ごしていますが、明日の自分が今日の自分と同じ程度にしか頑張らないのも無理はない話で、ゆっくりのそのそ歩いてきた奴が「ほらお前今からこれ持って走れ」なんかほざいていても走る気にはなりませんよね。明日の自分に期待するなら、バトンタッチのときぐらい全力出してるフリしましょう。
せっかく比喩の話が登場したので、今日無意識に書いてしまったクソ比喩を発表します。こんなものを書いてしまって忸怩たる思いです。
「彼女は『蜃気楼のように』消えてしまう」
ご清聴ありがとうございました。
何故クソ比喩なのかと言いますと、単純にクリシェだからです。
半分ジョークです。クリシェだから、以外にもこの比喩がダメな理由はあります。
みなさんもこの比喩が何故クソなのか考えてみてください。ヒントは前後の文脈です。
答え合わせ。
蜃気楼は「もともと存在しない架空が存在するように見える」機構のことであって、比喩の後の「消えてしまう」には結び付きません。これはどういうことかというと、「蜃気楼は消えるものではないから、『蜃気楼のように消えてしまう』という比喩は成立ししない」ということです。強引に成り立たせようとするなら『蜃気楼に近づいたときのように消えてしまう』になるのでしょうが、これも「蜃気楼はもともと架空であり実際的な物質が存在しないのだから、消えるも何もない」もっと分かりやすく言うと「蜃気楼は近づくと消えるものではなく、近づいて初めてもとより存在しなかったことがわかるものである」という理由から棄却されます。すなわちこの比喩は不適切です。なお、「彼女は蜃気楼のようだ」という比喩表現は(文法上)正しいです。クリシェに見えなくもないですが、「近づけば消えてなくなってしまっているかのように思える存在」という意味合いでの代替表現が見つからなければ、堂々と蜃気楼という言葉を用いるべきです。
如何だったでしょうか。大体僕と同じ感想を抱いた人は校正に向いてるので校正班に入ってください。