サイダーアウトサイダーイン

 

 

部屋にものが増えていく。自然の摂理なのかもしれなかった。ゴミが増えていくというのではない。事実として使うものが増えていくのだ。なぜだか除湿器は2台あるし、パソコンも2台。ゲームのハードに至っては4つあるし(ひとつは俺のものではないのだが)、たくさんのCDに本棚を埋めていく本、売り切れない会誌の在庫に楽器までもが住んでいる。

どちらかというなら物欲はない方だ。説得力がないけれど、物欲がないわりに購買に対して行動力があるのだろう。俺は無駄に物を買う人間がいけ好かなくて、そうはなりたくなくて、だから裏を返せばここにあるすべてのものに意義があるとも言える(遥か昔に買って、読む気が全く湧かない本を除く)。高級品は望まない。身の丈に合うとも思えない。無理くり高いものを買って自分を誇示するのなら、その金を旨い飯に使いたいと思う。両立できるほどには金は余ってない。それが普通だ。その点俺は普通の範疇にいる。

 

これだけものが多いと、引っ越しが心配だ。京都での生活も折り返し地点にある。このままのペースで部屋にものが増えていくとなると、さらにこの3年後、引っ越し用トラックを3台は呼びつけなければ間に合わない。

果たしてどこに越すのだろう。住みにくさが高じると安いところへ引き越したくなる、どこへ越しても住みにくいと悟ったとき詩が生まれ画ができる、と誰かが言っていた気もするが、あいにくここは住みやすい。そのため詩も生まれなければ画もできない。さりとて、住みやすいとはいえ、京都にずっといるのはなんとなく嫌だ。だから就職先は別のところになるのだろうと考えている。

どこへ勤めるのだろう? わからない。横浜に住みたい。できれば、東京に近い街で暮らしたい。東京に住むのは気乗りしない。おそらく住んでみれば嫌気が差す。できれば嫌いになりたくない。横浜はよさそうだ。神戸に似ているし、そのうえ東京に近いものだから最適解だ。高望みなのかもしれないけれど。

ごちゃごちゃしているのは嫌いじゃない。今の自分の部屋も、楽器屋も、梅田のLOFTのあたりも。ああいう雑多感がむしろ救いに働くことがある。綺麗すぎるのは不気味だ。カラオケの、むせかえるような煙草の匂いが結構好きだったりする。チープさがいい。煙草の匂い自体もそんなに嫌いじゃない。煙草を吸うなんて死にに行くようなもので、でも現代文明に死にに行くという選択肢が残されているのがいい。不自然だとか統制だとかは好きじゃなくて、自然なのがいい。梅田の星がなにひとつとして見えない夜空とか、ああいうのに惹かれる。一人10000円ぐらいする高い飯もいいことにはいいが、5000円ぐらいのバルの飯がやっぱり好きだ。こういう具合に、当然の表情をして飄々と世界にのさばっている不等式をひっくり返してみたくなる夜があったりする。