聖火リレーというのがあって、あれは喩えとしては正しくないし美しくもない

 

 

 

永遠じゃないというのは呪いみたいなもので、あるいは業みたいなもので、というより業そのもので、噛み砕いた表現を使うなら状態異常みたいなものだと思っている。メメントモリ的な話をしたいんじゃなくて、もっとこう、過程の話をしたい。

結果に関心がある場合と過程に関心がある場合の2種類がある。手っ取り早く承認をされたい夜があって、過程という街路に等間隔で屹立している報酬としての感情――達成感のこと――を繊細な味覚を以て味わいたい朝がある。時間的な制約と常々戦い続けている我々にとっては、妥協こそ基本戦術であって、だから、針の穴に糸を通すような慎重さと器用さを道具に、空間と時間の調和を上手に掴まえて生きている。

過程に関心があって(こう書くと難しいので、いろいろやりたいことがある、とでも置き換えて了解してもらえるといい)、でもそんな精神の微熱に時間も肉体もついていけないから、押し黙って妥協をしている。理性の箍*1が外れると、抑圧したそのぶん、感情の怒涛が押し寄せる。理想というより痴心妄想に近いことを最近は言いがちで、同じぐらいの頻度でそれらについて考えているけれど、気取った言い方をするならそれは時間的制約からの逃亡、否定への否定であり、悪く言うなら目を背けているだけである。dayが頭につくだけで夢が空想になって、そのうえ語頭にのさばっているものは白痴である。そういう言葉遊びを思い出す。

 

白昼夢のことをcastle in the airとも言ったりするらしいが、それぐらい頭上の高くに理想がある。理想に追い縋ろうとする気概が事実存在しているだけマシなもので、炎が消えて、ロウソクが溶かされきって、黒しか残っていないような日を迎えたときが怖い。消さないようにしている。無意識の賜物だったりする。酒を飲む理由なんて半分それで*2、もう半分は眠るためだ*3

酒を飲むという行為を、俺は前述した理性の箍を外すものとして捉えている。自分から言ってしまおうかと口が動くのもそうだし、向こうも話半分で聞いてくれるからなおいい。やりたいことなら無限にある、それらを口にすることは好きだ、他人のそれに耳を傾けるのも同様に好きだったりする。酒は理性の箍を外すからよくないことを誘因して、でもそれだって使いようだったりする、そんな話だ。

 

そういう意味で、誰かと酒を飲むのは(やりようによっては)とても良くて、常々そういう種類の飲み方を、まるで薪をくべるようだと考えている。話は変わるが俺は俺と同じようにして文章を書いている人たちと少しの期間懇ろにさせてもらっていたことがあって*4、ああいう人たちが飲み会をやっているのを見て羨ましいと思う性分である。関西で開催されたひとつに参加させてもらったが、あまり喋れなかった(チキン)。またああいう機会があれば参加してみたいと思ってもいるし、でもそうなったとして、同じことを繰り返すのだろうな、とも考えている*5

羨ましいと思うのは、何かにつけて自分より優れた人間がいなければ、空中に浮かぶ城を目視すらできないから、そう考えている。何につけても自分一人では手に負えないことを知っている。限界があることを知っているが、観察する努力を怠れば、こうもたやすく限界が来る。よく知っている。簡単に終わりがやって来る。無防備にその場に立っていれば、永遠なんてないのだという事実の波に呑み込まれて、波打ち際に書いた文字みたいにさっぱり消える。

どうだろう。そうやって羨ましいという感情を積み重ねて、もどかしがって、そういうことを喋って欲しい。別に酒の有無はこの際どうでもいいや、そういう話を聞かせてくれたらなぁ、と思っていたりもする。誰に対してじゃない。

結局そういう話に落ち着いちゃったな。

 

 

 

*1:タガ、と読みます

*2:賢明な読者はここで「なぜ酒?」と思うに違いない

*3:俺はアルコール度数1桁代の酒にやすやすノックアウトされるアビリティを有している。計算機科学実験及演習では非常にこれに世話になった

*4:今はわりあいどうでもよくなってしまったので大したアクションも起こさずにいる

*5:年末に似たようなのがあったが、そもそも話したいと思った人がいなかったのでわざわざ口を開く動機がねえ。当たり前の話、素性を知らない人間に興味なんざ持つわけがない