息継ぎ

ツイッターのトップに野球のツイプラを固定していたがために、暫く振りにここに文字を書く。

 

課題は忙しく、レポートは雪崩のように襲い掛かってくる。ひたすら雪かきをしたところでトカゲの尻尾、鼬ごっこである。そのくせ休日は二週間に一回外せない用事もあり、隔週の隔たれた間に挟まった暇なはずの休日にも何らかの予定を入れて、嗚呼忙しい嗚呼忙しいとせわしなく時間をたらふく平らげながら、自分を俗世根性の手垢塗れの大学生だと思い込んでいるサイコティックに傾倒をしている。心の底から本当に楽しいと思えるはずもないわけで、楽しいという言葉を耳に目に口にして自己暗示的催眠術にまんまと嵌っている時間が95%を占めている。残り5%の中には本気で楽しい時間と、自己暗示に浸る自分に気付いて絶望虚無浮遊感のトリプルヒットが直撃している時間の二種類がある。トリプルヒットで受けたダメージは孤独で紛れる。何故だか分からんが。一面に真っ青な夜の帳が重たい帰り道を一人で歩くことに悦を感じる。中途半端に膨らんだ月が南に、居場所をなくしたようにふわふわ浮かんでいたりする。釘バットみたいな電柱が地面に突き刺さっては風に揺れて鳴いていたりもする。車一台も通らない二方通行の道路のど真ん中をゆっくり踏みしめたりする。意味をなくした街灯がちかちかと眩しく蛾と戯れていたりもする。何だか幸せだったりするけど、これは郷愁の類なんだろうなと普通のことを考えている。あまりに孤独なのは辛いが、孤独から離れすぎるのも虚しい。いい感じにバランスをとって生きていけたらいいよな。幾分か都合がよすぎる気もするが。

ここ二週間ほど常に誰かに会い続けてきたから、僕はしばしの休息に入るよ。