本質情報

信じてもらえないかもしれないけど、嫌いな人はいないんだよな。*1

 

日本には罪を憎んで人を憎まずということわざがある。何か嫌なことがあったときその人の一面を嫌うことはあれどその人そのものを嫌うことはないんだ。*2誰かの発言が自分の琴線に触れればその人は自分に合わないだけなんだし、わざわざその状況を声に出してまでして他人にアピールするのは世界の中心に立ちたいという欲望、あるいは煩悩の現れなのかもしれない。*3

何かを嫌うのにはエネルギーが必要なんだろう。"あいへいといっと"を絶えず何度も何度も声に出す人を幾度となく見てきた。嫌悪の対象は人だったり事物だったりするけど、彼らはサンドバッグを殴っているつもりでも実際のところかつて物があった場所に存在する空気を殴って蹴ってしたりしている。*4自意識過剰を承知で言うのだけれどもし僕に嫌悪感を抱いている人がいても、僕はそれに気付けないから無駄にエネルギーを消費させてしまっているかもしれないし本当に申し訳ないなぁ。*5

どう思われてるかに関心はあるけどそれはわりとどうでもいいと思う。でも僕に嫌われてるって思ってる人がいたら嫌だなぁ。あくまで可能性の話だけど。

でも大学入って尊敬する人がさして増えていないんだよな。単に諦めているだけなのかもしれないな。そうじゃないと信じたい。

*1:自意識過剰な自分語り

*2:誰だってそうなのかもしれない、というかこの人が嫌いだとわざわざ言う人は大体嫌っていると言われることで人の困った顔が見たいだけだったりするよね

*3:すごく気持ちがわかる

*4:攻撃されている対象は攻撃されていることに気付いてなかったり攻撃を意に介してなかったりするから可哀想で仕方がない。ダメージが全く通ってないことを思い知らされて一層憤慨して敗走したりしている。不憫

*5:まぁそんなことはないだろうけど