世界平和と地軸の傾きとアジフライ

水面の下で行われていることを覗くことができないのはとてももどかしい一方で、潜水艦の中にいればその場にいない人が水面の下を窺うのを全力で阻止したく思うことがあります。何かを隠すことは一種の快楽です。ものを隠せばそれに気付かない人たちに対して一種の優越感を感じることができるからでしょうか。優越感に代表されるような、ゼロサムゲームでない感情は上手くコントロールすればその場で純利益を作り出すことが可能なのかもしれません。

 

愛と恋との違いは、愛は人を傷つけないもので、恋は人を傷つけるものだと考えています(反例を認めたうえで、それらの認識が間違っていると考えます)。それはさておき、愛は理論上無限です。いくらでも与えることは可能です。すごくないですかこれ。人が唯一無限に、永遠に作り出すことのできる発明品が愛なのです。与えましょう。無限に作り出せます。与えても損をすることはないのです。消費しましょう。無限に作り出せますから。石油とは違うのです。消費すれば得しかありません。愛はコンビニで買えます。お安いものです。誰かの愛を消費しましょう。なければ奪い取りましょう。そうやって人は生きてきたんです。誰しもがやっていることです。後ろめたさなど要らないのです。

 

揚げ物が食べたいです。この前ファミチキに代表されるコンビニのチキンはあの肉汁感を出すためにわざわざ油を注入しているらしいということを聞きました。その話を聞いた直後こそもうファミチキを食べることができなくなってしまうのではないか、世界の終わりだという気分になりましたが、別にそんな事実も関係なく食べられるもんですね。人って享楽的なもんです。享楽的であってしかるべきなんでしょう、幸せなことを考えることが幸せなのですから。