炭酸を飲む

 

 

殺すか殺さないかが大事なんだと思う。爆弾を抱えている。歩き方は、慣れてしまえば案外難しくない。無数の右と左の分岐がある。ずっと右を向いて歩いていなければならない。右とか左とかそのものに意義はない。重要なのは選び続ける方向だ。

 

昔見えたものが見えなくなることに気付くのは難しい。そんな類の比喩ならいくらでも思いつける。気付けないでいるのは少し怖い。いつだって気付いていないまま、殺し続けている。その可能性を秘めたまま歩む。枷とかでもなんでもなく、身体の一部だ。

 

ずっと大事にしていたものがどうでもよくなる瞬間がある。疑い始めたのだと思う。そういうことを繰り返して生きている。信じきれない時間を減らすために、毎日進んでいるのだと思う。誰にだってそういう熱がある。

苦しくはない? 無数に広がる選択肢の片方だけを選び取っていくのは、気が滅入る。滅入るけど、爆弾を爆発させてしまうのはよくない。そんな勇気はない。意味もない。そういう生き方をしている。誰だってそうじゃないか?

生き苦しいよな。殺すか殺さないか、無数のうちのひと通りを未来の自分に選んでもらうために、過去を潰して、食べて、かき混ぜて、疲れて動けなくなって、意識の底へ旅をする。気が触れている。本当に。

今までの努力をすべて水の泡にするような、そんなスイッチを押したくなる瞬間があるだろ。何度も言っている気がする。誰しもが爆弾を抱えている。現実でそれを爆破させるのは、まともじゃないよな。誰しもが理性をもっている。乖離をしている。

 

クジラの話だ。いつの間にやらクジラは泳ぎ始めて、それで、ずっとここにいる。想像結社がそこにある。だから、誰だって良かったのだと思う。何だっていいのだと考える。空を泳いで、宙を舞って、風に靡いて、消えない。そういう存在は、誰しもが抱えているものだと思う。限りなく心の内側にいて、確かな熱をもっていて、脈動している。消えて欲しくないなんて言わない。消えたら寂しいだろうなと思う。

その場所に住めばいい。無理をおしてまで外の闇を見に行く必要なんてない。中途半端な存在でいればいいのだと思う。強引に手を引いてくるような人間は放っておけばいい。本当にな。