本音を言う的なハッシュタグの残り数が余ってたので

あーーーめんどくせえなーーー

 

ほんと何やってんだマジで。いやそもそも何が時空犯罪スコポラミンだよ馬鹿。全然意味ねえじゃねえかこの文字列。普段は言葉を大事にしない奴はクズだ無価値だ言ってるくせにお前が一番言葉を大事にしてねえじゃねえかよ。そんでもってなんだこの内容。かしこまって難しい語彙をだらだらぐちぐち並べてるくせに内容は在り来たり過ぎて反吐が出る。それっぽいフレーズ捏造して悦に浸ってんじゃねえ。何様だよお前は。てかさっきからこの文も目的語お前ばっかりじゃねえか。自意識が過剰過ぎんだよ。何が出来るわけでもねえし人のこと結局見てないくせに自分だけは見てほしい解釈されたいってか。我儘もいい加減にしろ。

お前そもそもこの2年ちょいで何か出来るようになったことあったか?なんかssを書くようになりました?お前本当に書けるようになったか?高校生の時に比べて綺麗な日本語使えるようになったのか?頷けねえだろ?いつまで経っても日本語綴るの下手くそなままだろ?お前ちっとも成長してねえじゃねえかよ。いつまで玩具で遊んでるつもりだよ。いつまで停滞してるつもりだよ。他に何かねえのかよ。本を読むようになりました?本当に本読んでるか?お前ん家の本棚スッカスカじゃねえか。絶対数少ないのに読書の質も終わってんじゃねえの?何か得たものがあったか?読書から得たものをはっきりと言葉にして言えるか?なぁ。2年前のお前と今のお前に大した違いがあるか?ねえだろ。ちょっと知り合いが増えただけじゃねえか。昔と比較してどうだ?交流のある人数むしろ減ってんじゃねえか?むしろ落ちぶれてんじゃねえか?

2年間でなんか意味のあることやったか?自発的に動いたこと無いんじゃねえか?サークル作りましたって?嘘ついてんじゃねえ。お前流れに乗ってただけじゃねえかよ。偶然をさも自分の努力のおかげですみたいな顔して自分の手柄にすり替えてんじゃねえよ馬鹿。才能と親の金にかまけてサボってばっかいたんじゃねえの?結局自分が上に回れるように人の価値って概念を歪め続けてただけなんじゃね?お前のどこに価値があんの?あれだけ群れをなして騒ぐ以外に能のない人間を嫌ってたくせに、結局お前も同類じゃねえかよ。というかお前お前うるせえんだよ。ちょっとぐらい自分を殺す努力をしろ。努力できない人間なのは分かったから、せめてそれを自覚してくれ。

ナイフ

何十年か前に、盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを割ったりする趣旨の歌詞の曲が流行ったりもした。子供心には意味を理解こそできても、そんな歌詞が流行る理由がさっぱり理解できなかったものだけど、今はその歌詞に共感する人の気持ちが少し分かった気がしている。

煙草を吸うのもそれに似ている。今でも煙草を吸いたいとは思わないけれど、それに準ずるような「過去の破壊」に手を掛けたがっている自分が確かに存在している。紫煙をくゆらせるのはきっと、「物体の破壊」と「他者への迷惑」のトレードオフを十分に吟味した上での最適解なのだ、と推測する。

他者に迷惑をかけない範囲で何かを破壊したい。その意志の裏側にあるものは対象の定まっていない怒りの感情だ。怒りといっても、それは一時的な苛立ちだとか癇癪だとかそういった類の紛い物と区別された、透き通るような色をした感情なのだと思う。日常生活で外界へいちいち表出する怒りには不純物が混ざっているから蔑視されがちだけれど、本来怒りは吸い込まれるように綺麗な、宝石のような赤色をしているのだと信じている。

だからこそ、この胸に宿った赤色を大事に燃やし続けていきたいと願う。赤色を濁らせる怠惰の息の根を止めておかなければならないと思う。その赤色は原動力だ。どこまでも真っ直ぐな武器だ。誰にも悟られぬように研がなければならない。その赤色でなければ貫けない壁がきっと存在する。

リセット

アイツのことが嫌いだ――言葉にすらしたくないから、伏せながら文字を書く。アイツと言うのは人ではない。概念だ。

嫌いなんだよ。この上なく嫌いだ。どんな人間であってもアイツの前では理性のタガをぶっ壊して気色の悪い生き物になるから嫌いだ。アイツが居なければ俺はここに存在すらしなかったのだから、アイツのことが嫌いだ。アイツに手を染める自分を想像してみる。気味が悪い。死ねばいいと思う。他人がアイツに手を染めてるだけでもこの上なく気味が悪いのに、自分がどうと考えればもう虫唾が走るどころの騒ぎじゃないぜ。アイツが目の前に現れようもんなら、いっそ俺は身体を100分割にでもされて、小学生用のパズルにでもなった方がマシだ。

お前は何なんだよと人は言う。そんなの普通じゃない。普通じゃない人間を気取って楽しいか。どうせ普通じゃない自分が好きなんだろ。特別を気取ったところで奥底ではどうせ同じ人間なんだ。――こんな罵倒をもされて然るべきだ。うるせえ。異常じゃないお前に異常の気持ちが分かってたまるか。あまり人を分かった気になってんじゃねえよ。得体の知れないものを得体が知れないからって分かりやすい言葉で置き換えて歪めてんじゃねえよ。お前ら普通で良かったな。幸せだよな。

アイツが憎い。居なくなればいいのになと思う。ぶっ壊してぇ。破壊だ。全てを壊したい。アイツのことが好きだからって大人ぶってんじゃねえ。アイツのことが死ぬほど嫌いな人間を見下してんじゃねえよ。人間から動物に退化して何が大人だ。一生ぐちゃぐちゃ遊んでろ。脳内麻薬に溺れてそのまま一生上がってくんな。本能に忠実なことの何が社会人だ。何が人間だ。ああお前らは幸せだよな。一生その動物園で暮らしてろ

ハッピーエレジー

遥か過去に、「風邪を引きたい」といった趣旨の記事を投稿した覚えがある。さて実際に風邪を引いてみた感想は、『何となく得るものがあるけれど、とりあえず風邪を引くなら春休みが良かった』。

 

ここ最近は頻繁に人に会う。他者との会話は最大の薬であることはいいのだが、毒も少量なら薬になるように、薬も過ぎれば毒になる。私は日常生活の間隙を縫って生まれた思考時間とその産物を元に色々と日本語をこねくり回す人種であったから、ものを考える暇がなければ何も生むことが出来ない。そうやって時間と薬を食べて空虚を吐き出すのは当の本人から見れば得てして幸福だし、未来の自分からすれば最大の不幸であるとすら思える。

どちらが先なんだろう、と思う。孤独への対処法として無から有を生み出すことを考え出したのか、それとも私は昔から孤独を好むような人間で、それが頭の中での思考の自然発火に起因するのか。今の私にとってはそんなこと二の次で、これから先どんな意識を持って心臓を回転させるのか、私が孤立ゆえの不幸を選ぶのか、幸福と名のついた麻薬を飲み干す代わりに非生産的人種になるのか、選択を迫られていることに問題がある。

出来ることなら両方を選びたい。両方を選んで、誰かが「絶望と出会えたら手をつなごう」と言っていたように、幸福がゆえの不幸と、不幸がゆえの幸福と、全て愛して生きていたい。それはきっと不可能じゃない。不可能じゃないけれど、私はそんなに器用でもない。幸福を願う人間が幸福になれないように、不幸を願う人間もまた不幸にはなれない筈だ。外的環境が作用して不幸に陥らなければ、結局のところ持ち前の自己憐憫症も鳴りを潜めるに違いない。それでは意味がないのだ。

幸福という名の毒は私の体内を冷ややかに循環していて、確実に血潮から意味を引き抜いていっている。それがゼロになる前に、私は精神に火をつけなければならない。燃やさなければならない。殺さなければならない。益虫のふりをした破壊者を、二度とこの眼に映らないようにしなければならない。

ポエジー

ポエムポエジーポエットリー、と口ずさんでみる。空のくすんだライムグリーンの青色は見方を変えれば歪んだ緑にも思えた。街は死んだように沈黙していて、そこにあるもの全てを諦観とある種の安堵で包んでいるようだった。静謐な空気の粒子は僕の足元へと絡みつくように沈殿していて、動かす足をじんじんと重く感じさせる。

見慣れた立体駐車場とその付近の風景は、ここに来るのが初めてでないことを僕に悟らせた。僕はこの場所に何度か足を運んだことがある。しかも二度や三度ではない。

どうしてそれと気付かなかったのだろう。折れ曲がった一方通行の標識を見上げながら、記憶の糸をひとつひとつ手繰っていく。標識を支えていた金属の支柱に手を触れて、あまりの冷たさに驚いた。首を折られた標識は今にも千切れそうで、ゆるやかな風が吹く度に左右に揺らめいていた。僕にはそれがあまりに恨めしそうに見えた。

澄み渡った緑色の空には雲のひとつも浮かんでいない。空の青色が空虚とするなら、この緑はきっと、汚濁なのだろう。そうだ、昔はこの空は青色だった。単調で何もない、そして何もないがゆえにどこまでも突き抜けていた青だ。浮かんだ雲が時には雨を齎し、また時には七色が花を咲かせていたような、そんな空の青だ。

僕は塗りつくしてしまったのだ。天井なんてない、なんて嘘の詰め込まれたスプレー缶を片手に、視界を緑色で塗りつぶした。夢中で見える世界を変えようとしていた。届きそうで、でも届かない位置に手を伸ばしているうちに、視界は濁ってしまっていた。上書きされた青色はもうその痕跡すら窺えない。僕の視界に残されたのは、変わってしまった世界と、病的に汚れた空だけだ。

空の緑色は絶えず僕を抑えつける。呼吸は次第に苦しくなって、酸素以外の何かが顔の辺りを漂っているような感触を覚えた。空を支配していた緑は煙のように吹き出して、周囲を絶えず曇らせていた。煙草に火をつけようとして、ライターも煙草も持っていないことに気が付いた。

背中に背負っていたギターケースから、ギターを取り出そうとした。

でもギターなんて弾けないし、そもそもギターを持ってすらいないことに気が付いた。

何か書こうとして、紙とペンを取り出す。

紙は真っ黒に汚れていて、ペンはインクが乾ききっていた。

やがて堪え切れなくなったところで、地面に倒れ伏す。

そうやって何も無くなった世界は、確かに青色の空をしていた。

東京旅行 6日目

桜が綺麗に咲いているだとか上弦の月が孤高に輝いているだとか、対象物を自然に絞った上で感慨や感傷に浸る一連の行為は、単純に対象物として選択できるものが非人工物以外に無かったからだと思う。人工物の波が非人工物を飲み込んで、人の息がかかっていないものを探す方が難しくなってしまった現代においては、そんな行為に頼らずとも娯楽という娯楽を享受できる。それでも現代の人間が桜がどうの月がどうのと声高に主張できるのは、偏に伝統という言葉に流されやすい日本人のDNAに起因していると思う。単純に先人が語る趣きという概念に価値を見出すことは、それ以外の人工物に似たような感情を抱いて価値を語ることよりも、説得力の観点において逞しい。現実のところをかしとかあはれとかそういう朦朧体をコンクリートに捉えることのできる人間は数少ないはずで、それでも人がそんな曖昧な概念に説得され得るのは、誰かが言っていたから、に過ぎないのだと思う。

だから、その趣きだとか感傷だとかそういう単語の効果範囲を出来るだけ広げて考えてみる。心から心酔できる対象は、身近にはなくて、でも手の届かない場所にあるわけではない。身近にある存在に心酔することは、得てして感傷を齎さない。自分の経っている場所よりずっと遠くにあって、でもちゃんと存在していることがわかるもの。そんな存在が、例えば誰かにとっての桜であったり、手の届かない位置に淡々と輝いている月であったり、誰かにとっての異性であったり、誰かにとっての銀河の向こうだったりする。私にとってのこの街は、つまり、そういう存在だ。

私はここに住みたいわけではない。先述の通り、身近にそれが存在してしまえば、感傷も何もないのである。片道1万5000円の水色のチケットを握ってようやく辿り着くことのできるような、大勢の人が死ぬために生きているような、雑踏と慢性的な社会不安と群青で満ちているような、そんな不自由で退屈な街が愛おしくて仕方がないのは、その街がずっと遠くにあって、簡単には手が届かないからだ。

旅行は明日が最終日である。一週間で得たものはそんなに多くはないし、自分の意識や見識が劇的に変化したわけでもない。それでも、旅行して良かったとまでは行かなくとも、助走のきっかけになった程度の感想ぐらいは胸を張って言えるようにしたい。後になって振り返って、あのとき東京で過ごした一週間が自身の血肉となって、誰かの心を震わせることに繋がったのだ、と思えるような、そんな時間になるのだったら、これ以上のことはない。経験が未来に繋がるというのは、きっとそういった風のことを言うのだろう。

 

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中華料理の食べ放題に行った。完全に食いすぎた。死にそう。

東京旅行 5日目

部屋の乾燥に伴う強烈な掻痒で目を覚ました。慌てて顔を洗い、加湿器をつけて二度寝をし、そこからさらに4時間ほど眠ってから再び起床する。

 

5日目ともなると流石にやることがない。概ね行きたいところを回り尽くしたので、今日は進捗に極振りすることにした。場所は秋葉原である。

サブカルチャーに関するアレコレで有名な街であるところの秋葉原は(神田や丸の内に近いからなのか)オフィス街としての側面も併せ持っている。小綺麗で瀟洒秋葉原は中央通りを駅の方へ逸れた付近に転がっていて、今日はそのエリアのカフェ(タリーズ)でパソコンとにらめっこをしていた。顔は笑顔なのに早口でブチぎれているサラリーマンがいて、ブチギレ食い気味高速まくし立てサラリーマン vs 全てをなあなあにしようとする穏健派サラリーマン のリアルファイトを楽しんだ。議論が主体の口論は見ていて楽しいなぁと改めて感じさせられた。日向ぼっこも同時に達成できるような店外の席に陣取っていたが、周りの席の人達が煙草を吸うので、煙を眺めたりして過ごした。進捗は2000字程度生まれた。

日比谷線で北千住へと向かった。"きたせんじゅう"だとずっと思っていたが、どうやら"きたせんじゅ"らしい。この駅前にもペデストリアンデッキが突き刺さっていて、「とりあえずペデストリアンデッキ作っときゃシャレオツでしょ」みたいな怠惰とマンネリズムが垣間見えた。

食事を摂った店には先客の大学生らしき学生3人組がいて、ひたすらに単位の話をしていた。ひとりはコバヤシという教授が定年退職前最後の講義だったらしいのに単位をくれなかったと嘆いていた。そういうとこだぞ小林。

北千住を後にして、それからはやることもないので、寝床に舞い戻ってきた。今日は本当にカフェでパソコンをかたかた殴っていただけなので、あまりに内容のない記事になってしまった。嘘は吐けないので致し方ない。まぁほとんど自分用に記事書いてるみたいなところあるし(言い訳)。

とはいえ、もう少しどこかをさ迷い歩いてみてもよかったんじゃないかと思っている。見聞きしたものが自分の全てなんだし、あるに越したことはないし。

思うことには、この街は住むにはあまりに呼吸が苦しい。