大阪ゴーストシップホール

順天候、梅雨前のモラトリアム。梅雨前線は雨の前に二三日、人間に対して梅雨に対応するための準備期間を設けている。本日はお日柄も良く、吐き下すほどには真っ白い雲が空の四分の一に居座っていた。その雲も忌まわしき直射日光を邪魔するまでには至らず、これが日本晴れかと考えてみたところで、快晴の快哉を”日本”晴れと叫することにエゴイズム的なものを感じた。そんなことはどうでもよく、つまりは絶好のカタルシス日和だった。

 

今日は些細な相手をいちいち相手にする人のことを考えていた。のほほんと生きているだけでも自明に突っかかってくる相手はいるもので、殺虫スプレーを吹きかけてもぴょんぴょんと飛び跳ねているものだから、年を取るうちにだんだんと相手のことを考えなくなっていく。防衛機制なのか無関心の度が過ぎたのか、どうでもいいの境地に足を踏み入れている自分に気が付くものだ。でもそれはちゃんと善悪を考えていないことに等しいわけで、単なる思考停止なのではないか?ああでもなくこうでもないとしたら自分はどこに行くのだろう、それは「関係ない」の領域だと一応理論上の正論をぶら下げて、私は間違っていないんですよアピールをする。これまた愚民の特権である。自分はどちらにも属さないというエリアを都合よく利用して、整合性、自己肯定、浅い悟りの道具にする。やっぱりよくないんじゃないか? 感情をむき出しにするのは愚かしいと日陰で知った顔で呟きながら、感情をむき出しにすることから逃げてるだけでは?

 

脳は思ったことをすぐ忘れるから、こんなに自明なことも書いておかねば忘れてしまう。

 

シャフ度でこれ書いてたからどうにも首が痛い。