ホワイトアウト

 

 

白紙の紙の上で夢を見てきた。意識していなかっただけで、初めからそういう生き方だった。今もそうだ。何かを作ることは楽しい。それが自分にしか作れないものだったらなお良い。平易な言葉遣いで包み隠さずに話すなら、本当にたったそれだけだった。何かを作れないことを悟ったときが一番怖い。軽率に一番だなんて言うのはどうかと思うけれど、でも、一番だと信じている。

なりたい自分がいるつもりはなかった。結果的にそう見えたとしても、それは自身に張り付いて離れない影みたいなものだ。何かを生み出せればそれで満足だった。影と自分がすり替わっていることにはとうに気付いていたけれど、でも、やっぱりやることは変わらない。生き方に変化はない。だから、目的地は変わらない。引き返せないし、引き返すつもりもない。間違っていないから、引き返す意味がない。

将来の夢なんて真面目に考えたことは一度もなかったけれど、魔法を使いたい夜がある。魔法。地に足のつかない言葉が嫌いなら、そうだな、銃とかナイフとかに置き換えて読んで欲しい。魔法。銃。ナイフ。宝石。夜空。そんな言葉ならなんだっていい。

例えば、魔法に打たれる夜がある。もう少しだけわかりやすく表現するなら、銃に心臓を撃ち抜かれる夜がある。ナイフのおよそ一振りで、世界は宙に舞う。きっとそんな夜を望んでいる。望んで、渇望して、また歩き始める。そういう生き方だ。分かりやすいだろ。特別な呼吸じゃない。意識していなかったけれど、そういう風にして、歯車は回っていた。過去に打たれた魔法と、今の自分がやっていることからすぐにわかる。そんなことは。

欲しがっている方向へと歩みを進めてきたのだ。事実だ。散々寄り道して、でもじわじわと前に進んで、迷子になって、迷子になったつもりになって、でもそこが順当な道で、夜を恨んで、朝をゴミ箱に蹴飛ばして、それも一度や二度じゃない。もう霞んで見えない方向へと、信じて歩いている。疑ったとて、確かめようもない。そうやって作り上げたものが何色でも、ただ、色がついているというだけで充分だったのだ。

白紙に色を塗ることなど、大して難しくもない。そう思っている自分がいた。それは才能の問題だと吐き棄てる自分がいた。まっすぐ歩いていたつもりになっていたけれど、ずっと同じところを周回しているだけなのかもしれないと疑う自分がいた。すべて相対評価なのだから、確かめようもないのだ。だからこそ不安になる。アイデンティティなんて8文字で表現されるほどたやすい話じゃない。周りの風景なんて、こんな暗がりじゃ見渡しようもない。そんなものだ。

 

白紙の上でペンを躍らせようとする。今日のことだ。思うままに動かなくて、動かしたくて、でも上手くいかない。目的地が見えていないから。知っていた。それでも、雪原の上で佇むのも、悪くない。

過去がフラッシュバックした。思うように書けなかった日があった。テキストファイルに書きたいものの名前だけをつけて、肝心の中身は思いつかない。そんな日を過ごしていた。似ている。どこまでも似ている。同じだ。伝えたいものがあって、書きたい話があって、でも、両手も脳も理想に追いつかない。書けない。書けもしない小説の、架空のタイトルを並べたあの日、それでも追い付こうと必死になったときの熱を、結局は忘れてしまった。でも、いつだって思い出せるように、呼吸をしている。これが意志の介入を許さないのは、自動で時間が進んでいくのは、きっとそういう理由なんだと思っている。

 

 

 

危機管理学部

 

 

 

題:まにあわねえ

 

 

 

みなさん元気ですか。俺は比較的元気です。

910の会誌に関する記事を書きます。よしなしごとです。内容は題目から察してください。しかもろくに建設的でないです。冬の朝の溜息みたいな。強いて言うならなんだろう、注意喚起? この先の扉でボス戦始まるよ、的な。

 

書いてますか? 俺はちまちま書いてますが、大したことのないものを生み出してしまいそうで怖いです。ストックがありません。卑下でもなんでもなく、ごみを生み出してしまったらごめんなさい。

 

 

締め切りが4/1ですか。マジでやべえ。乗り切ったとて、直後に夏コミの締め切りが控えているかもしれない。なんにせよやべえ。書けないなぁ。歌姫庭園ならまだしも、夏コミには一定水準以上のそれを提出したいという矜持があります。矜持というか、なんだろう、俺がしょぼい作品でファイナルアンサーしちゃったらちょっとまずいというか。紛いなりにも俺は引っ張っていく立場であるべきで、そうなりたいと思っていて、だから、出来れば頑張りたいわけです。

春休み、忙しいですね。本を20冊ぐらい読みたいとか言ってましたけど、いま4冊目の途中なのはペース配分をしくじってるとしか言いようがないです。読むのすらままなってないのに、書くことは可能なんですかね? まぁぐちぐち言ってないで書けって話です。状況はかなり不安定ですが、こういった試される状況を楽しむべきで、俺は持ち前の精神暴走力と掻き毟るような反骨で書き上げるつもりでいます。よろしく。みんなも書けよ。

 

 

 

3回後期まとめ

 

 

気が向いたので軽くまとめておきます

 

 

 

 

全体的に

 

前期とうってかわって暇でした。理由は3つあって、

  • 実験が比較的に楽、というか手を抜いていた
  • 計算と論理、パターン情報処理を履修しなかった
  • 2回後期で上回履修をしていた

実験を除くと週4コマで、しかもその全部に出席するわけではないので、大学に行くのは月曜(応用代数学)と木曜と金曜のみ、という頽廃的な生活を送っていました。問題なのはその空いた時間で何を成し遂げたわけでもないことです。せめてもう少し原稿を書きたかったです。

上回履修は本当に積極的にやるとよいです。2回で取っても3回で取っても評定が変わることはありません(個人の感想です)。むしろ実験がしんどい3回で履修した方が評定が下がりそうなものです。

 

計算機科学実験及演習4

 

前半は画像認識、後半はデータベースを履修しました。今年はコンパイラの人数がギリギリ他に影響を及ぼさない程度には多かった*1ので、じゃんけんに負けてコンパイラ流しみたいな状況に陥ることがなかったです。心底コンパイラをやりたくなかったのでありがたい。

画像認識はオライリージャパンの魚の本と近いことをやれば終わりでした。道中のレジュメがやや意地悪な箇所に躓いたりしましたが、必修はすぐに終わります。まわりの人は発展課題を色々やってましたが、僕は僕でやることがあったので、発展課題の学習率とかの最適化を終えて以降、しばらく7号館の例の自動販売機スペースで原稿を書いていました。手を抜いていたというのはそういうことです。

後半はデータベースで、これは2回前期に回収したデータベースという講義を前提にアプリケーションシステムを作るのが課題でした。お役立ち情報ですが、

  • データベースの内容を覚えていなくても問題ない
  • 課題とかレポートの量がまぁ多い
  • 最後にデータベース履修者と準教授陣の前での発表をすることになる

というのが主な特徴です。僕はレポートを書くのが別に苦にならない人種なので問題なかったですが、レポート課題に生理的な嫌悪を覚える人は情シスあたりに行くとよさそうです。システムを作るとありますが、雛形が用意されているので、特に予備知識は必要ありません。それから発表会ですが、データベースとか関係なくUIをカッコよくすると出来栄えがよくなります。僕が何を作ったというのかについては、読書管理システムと答えておきます。積読を管理するシステムです。発表会では梶井基次郎檸檬を追加したり削除したりしました。すなわち檸檬ダイマです。

画像認識ですこぶる手を抜いたので評定はBでした。実験の評定がBACBとかなのは計算の上です。A+とかを取っている人すごいですよね。

 

 

応用代数学

 

唯一モチベのあった科目です。勉強してみると案外苦しかった印象があります。試験は簡単でした。問題は回収されるのですが、試験直後に取ったメモは残っています。僕の鍵垢のツイートにあるので覗いてみてください。一問出来なかったのにA+が来たのはどうしてなんでしょうかね。わかりません。こういう怪奇現象はよく起こります。

 

 

機械学習

 

個人的な興味から液タブを購入したのですが、それを初めて本格的に使ったのがこの講義でした。わけがわからないと思いますが最後まで読んでください。この講義の講義資料は行間が多すぎたのでまとめノートを作っていたのですが、その際に液タブを用いたということです。

試験は簡単でした。ただ大問2が少しあやふやだったところもあって、評定はAどまりでした。採点が厳しかったっぽいというのを風の噂で聞いたのですが、どうなんでしょうかね。

 

 

数値解析

 

試験がかなり前のことなので覚えていません。出席点があったようですが救済のための概念だと聞いていたので出席はほぼしませんでした。普通に勉強して普通に試験を解きましたが、A+は来なかったです。かなしいね。85点でも95点でもAはAと表記されるわけで、せめてどちら寄りなのかを教えて欲しいです。

 

 

アルゴリズム

 

今年から担当がmnt先生に変わった科目です。先生も試験の難易度を測りかねている節あって、試験後は全員が全員口をそろえて「単位取ったわ」と言っていました。ただ僕はというと、この分野が苦手なようで、試験対策も結構苦痛でしたし、試験でも○×問題を何問か落としたような雰囲気でした。で、結果Aです。観測できる範囲内で全員そんな感じの評定だったのでまぁ耐えですかね。

 

 

終わりに

 

いちいち評定を気にし過ぎだと言われればその通りなのですが、研究室配属というイベントがある以上、多少神経質になるのは多めに見てください。GPSumは250ぐらいです。対戦よろしくお願いします。研究室は決めていません。気分で研究室を決めてしまうとそれだけで誰かを蹴落とすことになるのが個人的な懸案事項です。

単位がどうのなんてどうでもいいので、5万字のSSを書いたほうを褒めてください。それから、会誌を読んでください。僕の3回後期はどちらかというとそっちの方に詰まっています。

 

 

 

*1:12人

ユギー

 

 

 

CDのケースが割れたら嫌な気持ちになる。その薄っぺらい虹色のディスクを買うのは中身に入っているものが欲しいから、それだけだ。目的が達成された以上、ケースが割れようが割れまいがどうでもいいはずなのだ。しかし現実、透明のそれにひびの一つでも入ろうものなら、買いなおすことすら考える。整っていてほしいと思う。完璧主義者じゃないけれど、でも、完璧でいてくれるならそれに越したことはない。

 

不完全を愛することはできない。できたとして、それは無償の愛だ。いつも思う。そんなものは必要ない。それは誰にだって必要で、でも今の自分には十分に足りている。こぼさず蓋を開けるのが大変なぐらいだ。不完全は嫌だ。完全がいい。完璧がいい。だから、他人の前では完璧でありたいと願う。一度だってそうなれたことはないけれど、常に願っているのは事実だ。

好かれたいか好かれたくないかなんてどっちを選ぶかは始まる前から分かりきっていて、さりとて無闇にそう扱われるのもガムみたいで嫌だ。そこにあるものを適当に抱きしめる人間がいる。よく飽きてどこかへ行く。掴み取りたい。理由が欲しい。理由のない愛は蒐集家の残酷さによく似ている。騙しているつもりもないのだろうけど、騙されている側が騙されたことに一生気付けないことがあるのと同じで、騙している側が騙していることに気付けないことだってあり得る。重力に逆らって上昇していく風船は、だからこそ娯楽だ。

 

分かるか?

分からないか。

俺は何度だって同じ話をする。

 

拾ったものと同じ分量の何かを捨てて生きている。バケツリレーみたいなものだ。水が渡った先には火葬場の火がある。そういう意味だ。

トラックの真横を通り過ぎる自分と同じ数だけ、そのトラックに潰されて死ぬ自分がいる。そういう意味だ。

見えない誰かが俺に繋がったケーブルをペンチで切断している。そういう意味だ。

少しずつ減っていく。そういう意味だ。

戻れない。そういう意味だ。

苦しまずに死ねる世界線に自分はいない。そういう意味だ。

苦しまずに死ねる世界線に自分はもういない。そういう意味だ。

とっくにいない。そういう意味だ。

世界は明るい。太陽は眩しい。だから、そうじゃなくてもよかったと思える自分もいる。そういう意味だ。

ああなれたらいい。そういう意味だ。

 

何度だって同じ話をする。

 

 

捨てられる

 

 

 

世界の裏側からものを見ようと躍起になっている。裏側からは何も見えない。こういうのは結局光の当たる加減の問題だ。知っている。ちゃんと知っていて、昔はそんなことを思いもしなかった。自分の視界に映るものが世界のすべてだと思い込んでいて、ある意味それは間違っていない。地球のどこに行ったとしても、やっぱり視界に映るものが世界のすべてだ。とめどない光に貫かれればこの世界は純白に染め上げられる。その逆も同じだ。吐きそうなぐらいの闇で濁るのなら、もう逃げられない。

何をわめき散らしたところで、誰かが自分を見ている。およそ見なかったふりをしてくれるけど、事実は事実として消えない。黒板にチョークを滑らせるのとはわけが違う。皮膚をフォークが貫くのを、笑ってしまうほどに安っぽい血しぶきを、ただ黙って見ている。テレビの向こう側よりは近い距離感で、でもけっして近寄ろうとはせず、ただ、眺めている。カフェの2階の席からスクランブル交差点を見下ろすように。

 

決して捨てられない。誰かが見捨てることはない。

 

そんな季節がある。誰だってそうなのかもしれない。誰だってというのは言い過ぎなのかもしれない。満たされていれば音はしない。ただ静かに、安らかに、双六の上を進んでいく。それは都合がいい。全員が全員、それだけ単純だったら、どんなに世界は変わっていたのだろうね。あるいはここだって、そういう道の上にあるのかもしれない。どっちだっていい。見えている世界が全てだ。

雨が降って、3回ぐらい別の花が咲いて、人は傘を畳む。雨上がりに虹がかかるのは退屈だ。待ちはするのかもしれない。すこしだけ空を見上げて、その退屈さに、やっぱり首を下ろす。何にも書かれていない正方形を踏みしめて歩く。不気味な空の下を歩いて、気付いたら色々なものを失っている。

誰かに見てもらいたいのなら、行く先を間違っていた。別の番線へと続く階段を下りていってしまっていた。折り返せる。正直にならなくちゃ。嘘はいけないなんて言わない。でも、その嘘は不必要だ。今まで上ってきた階段を折り返すのは勿体ない、なんて考えない方がいい。まだ捨てられていないから。人間は味のないガムじゃない。インクの乾いたペンでもない。飽きられた猫でもないし、車に轢かれたその死体でもない。ちゃんと見られている。見られて、名前をつけられている。

いつだって引き返せる。信じた方向に進むことはできる。間違っていると心の底から思い込んでいても、でも足が止まらないときだってある。分かっている。否定はしない。いつか受け入れる準備が出来たら、そのときに階段を下り始めればいい。

傲慢。武器。過去の栄光。栄光ですらない何か。怠惰。嫉妬。自分を蔑む自分。過去そのもの。苦杯。欲望。闇。思想。決心。決意。軸。事実。安っぽい怒り。自己憐憫。隣人愛。隣人愛に見えなくもない別の何か。偽物の天気予報。形容詞。玩具の銃。紙束。雑草。心臓。

いつだって捨てられる。

 

 

 

イエロー

 

 

 

誰かが食べたがっていたチョコレートを奪い取って、あるいは新緑のカーテンで部屋に空気を閉じ込めて、まるで飴玉を転がすように毎日は続く。何となく後ろめたくて、不安で、きっとこの世界では自分は誰彼からも憎まれているんだと思い込んで、部屋に閉じ込めた空気の残りを消費する。想像の世界の自分は手ずから窓を開ける。好きでも嫌いでもない季節の空気が流れ込む。現実はそんなに難しくないし、やっぱり簡単じゃない。

 

誰かに謝らなきゃなぁ。

乾燥機が眠そうに首を振っている。言わなくていいことばかりで、むしろ口にすれば二度とこの手には戻らないような、そんな言葉が心の中を満たしていく。

血を流す夢をよく見る。コーヒーミルが泣き叫ぶように、彼ら自身がその行為を止めることができないように、未完成の夕焼けのような血が溢れ出す。せいぜい何だろう。圧力だ。一度自分と外側とを明確に区切っている境界を引きちぎってしまえば、そこから先はひとりでに流れ出していく。部屋を満たすんだ。浴槽に湯を張るみたいなスピードで、赤が、赤が、赤が、意志を持っているかのように、溺れさせてくれるんだ。

乾燥機は気だるげに騒いでいる。言わなくていいこと。言っちゃいけないこと。踏みとどまっている自分。壊してしまえばいいのにと耳元でささやく別の人格。破壊衝動。赤。

きっとそんなことを考えていて、考えていても、やっぱりまだナイフの使い方を間違えない。心臓の中で何かが笑っている。笑って、意味の分からない声でわめいている。

世界中をその赤で満たしたら。

二度と戻れない。いや、そんなことだって、やっぱり分かっている。二度と戻れないから、その赤に憧れてるんだ。世界が終わるんなら、赤色がいいな。やっぱり。最後ぐらい、花を持たせてあげようぜ。そう思うよ。本当に。持たせる花は何がいいかな。アイビー。ブーゲンビリア。ダリヤ。ネモフィラ。ベラルゴニウム。ジギタリス。好きな花がいいな。

 

踏みとどまっている自分。崖際ってわけでもないけれど、ただ、理由もなく踏みとどまっている。足踏みしている。崖の下を覗き込んで、ああなれたらいいのかな、と考えている。それは幸せではないのだろうけど、でも、きっと楽しい。やっぱり謝んなきゃなぁ。誰にというわけじゃない。謝らなきゃいけない出来事があったわけじゃない。強いて言うなら、世界にでも謝るのかな。自分を生んだのは他でもない世界だけれど、でも、謝りたい。憎まれている気がするんだ。世界に視線を向けられている。はやく消えろと言われている。そんなの錯覚で、そういうことはいちいち分かっていて、だからといってその錯覚の向こう側に真逆のそれが待っているとも限らない。

世界が終わるなら赤色がいい。終わらせるのも自分がいいな。他の人間に任せちゃだめだ。世界に殺されるぐらいなら、自分から世界を終わらせたい。白じゃだめなんだ。黒も相応しくない。血の気の引くほどに雲一つない青空の日がいい。きっとそういうことだ。

 

誰かが食べたがっていたチョコレートを奪い取って、新緑のカーテンで部屋に空気を閉じ込めて、まるで酸っぱい飴玉を転がすように毎日は続く。紡錘形の黄色は、そんな風にして、世界中に転がっている。転がって、時間が経つのを待ち続けている。

謝らなきゃなぁ。うん。

 

 

 

 

 

ストーリーとメソッドの話

 

物語を面白くするのに手っ取り早い方法があって、それは設定にひとつ嘘を盛り込むことだ――という文面を見ることがあって、本当にそうだなと皮肉なしに思います。事実俺はそういうメソッド的なものには懐疑的でないし、こういうことに反発を覚えるのはただ単に斜に構えているだけ、あるいは読者を楽しませることが作者の第一に考えるべき指針だ*1という基本がわかっていないかのどちらかだと考えます。

冒頭で述べた手法を、しかし、周りの人間が用いているのをあまり目にしません。なんとなく不思議なんですよね。嘘を盛り込むというのは行き過ぎにしても、ある程度ありきたりでないテーマもなしに書き始めるのは無謀というか無茶というか。嘘とはいかないまでもテーマは大事じゃないですか。流石にそのラインは守られていると思うんですけど(というか守れていないのなら何も書けないだろ)、嘘や突飛な設定をひとつ用意することで文章は見違えるほどに書きやすくなるし面白くもなる、というのをもっと知って欲しいんですよね。起きる現象が現実離れしているという例はあって、ダルセーニョはそういうわけで面白いのだし、ありすが死ぬ話は物語がわかりやすくていいじゃないですか。(俺も人のこと言えないけど)案外みんなこういうことをやりたがらないので、やってみてもいいんじゃないかなぁとふわふわ考えております。むろん、そういうことをしなかったら退屈になるなんてことは言ってなくて、でも、その平坦な状態から面白くするのは至難の業だし、面白くなくても良い作品ってのはたくさんありますけれど(純文学は退屈だったりする)、やっぱりその分書き手としての技術が必要なわけです。

色々な本があるじゃないですか。でも大抵の本はこういう手法を結局用いているものです。現実では絶対に起こりえない現象が事実として起こるか、普通に生きていれば絶対にお目にかかることのないような状況になるか、はたまたそれ単体で見れば不思議で仕方がない謎をじわじわ解きほぐしていって読者を楽しませるミステリか。面白いのはだいたいどれかです。嘘を盛り込むというのは一つ目にあたります。何でしょう、分かりやすすぎる例を挙げれば森見の夜は短しだとか、ボトルネックとか。雑に3つに分けたりすると、人によっては「型にはめてんじゃねー」と思うのかもしれませんけど、新体系作る実力なんてそうそう降って来ませんからね。読者に読んでもらうことを重視するならこのあたりのことは念頭に置かなきゃ駄目なんですよね。結局。そういうメソッドみたいなのにある程度反発のある俺が言うのだから、ちょっとぐらいは信じてください。

日本語がうまいへたの話を意識的に振ってきたわけですが、こういうストーリー展開の話をそのぶん蔑ろにしてきたよなぁとつくづく感じています。こういうことを考えるきっかけになったのはTwitterで「執筆能力は遺伝が85%」みたいなのを目にしたからです。日本語が上手くならないのはどうしようもないんじゃないか、と俺は考えています。本当に才能85%なら勝負できるのは物語の方なわけです。ね。水槽に嘘を一滴垂らす、というのをやってみてはいかがでしょうか、という提案です。強制する気は毛頭ないですけど、でも、やっぱり面白いものを書きたいじゃないですか。

 

 

 

 

 

余談:最近、俺は文章がマジのマジで下手だなぁと思うようになりました。下手じゃないにしても上手ではありません。少なくとも才能はないです。感性がぶっ飛んでいる(というか常人にあるなにかが欠落している)ので比喩は上手です。ともあれ展開の突飛さで勝負するしかありません。ジーザス。

 

 

 

*1:人によってはそうでないのかもしれないが、そうでないのなら読まれなくても文句は言えない