路地裏に導火線

文章力って虚飾のような気がする、というのをここ数日考えている。比喩とか、便利ですごく好きなんだけど、時として現実味がないよな、と思う。真に追い求めるべきものは俺の描いた世界なんかじゃなくて彼らの見ている世界だし。比喩を意識的に使わなかったら、結局出来上がったのが、別に巧いわけでもない文章。どうするんだろう? 世界を綺麗に描かずして、綺麗に描けない人から見た世界を描写するとして、それで心臓に触れるにはどうすればいい? いや、わかんないな。そもそもそういうコンセプトで書かれた文章を知らない。未知ではなく無知。

リアリティって何なんだろうね? 一回追い求めてみたけど、手ごたえはよくなかったな。想像力の問題? なりきるって難しいな。それって出来ることなのか? いや、でも、アンチテーゼぐらいにはなったかな。だといいな。俺の中ではそう。

大衆受けする文章とそうでない文章があるのと同じで、うまく書く代わりに何かを犠牲にするのと、上手には見えないそれを書いて、リアリティを追究するって二択がある。どっちが善なんだろう? 現実を追い求め過ぎたら本当に平坦な話にしかならないからつまんないし、でもその退屈さが精緻に描かれていれば綺麗なんだろうな。いや、二次創作とかに関係なく、普通に小説を書けばいいんだよな。自分の中だと結論はそういう風に着地してる。

誰かに話したことだけど、一次創作(この言い方あんまり好きじゃないな)ってフィードバックが弱すぎるから手を出せないんだよな。見返りが少ないよね。少ないというか少なすぎるというか。割に合わない。本当は俺もそういうのやりたいんだろうな、って今回書いてて思った。実際に行動に移す勇気がないからこうやってキャラぶっ壊した二次創作紛いのことやってるんだし。3ヶ月溶かして無反応はちょっと割に合わないよな。

話変わるけど創作って言葉やっぱり好きじゃないな。無意識に吐き出すとかじゃなくて作り上げるって意識をもって能動的にやってる時点で向いてないと思う。俺は。世の中向いてない奴ばっかりだけどな。俺も向いてない。言葉狩りみたいだな、これ。本当にこういうのよくない。

まぁいいや、えっと、そうだな。純文学の話でもするか。

少なくとも俺は純も大衆も楽しめる人間で本当に良かったと思う。知識は多い方がいいし、センスはあった方がいいし。いや、ほら、文章上手い人基本的にみんな純文学読んでるからね。それが証左だよ。でも、なんかね、俺が純っぽい文章書いたときに共鳴してくれる人がいないの、ちょっと寂しいね。このあたりが限界なんだろうな。

こういう爆弾みたいなことを言うたびに、こういうことを言えるように2倍は強くならなきゃと思うんだよね。説得力の問題。全然だな。強くなりたいな。むしろ弱くなってるもんな。

長いものを書くときに使える能力ってなんか短いの書くときと全然違うね。うん。みんな、気安く長いの書こうとしちゃダメだ。短いの書こうぜ。それですらままなってねえし。一旦落ち着いてさ。5000字ぐらいの書こう。長いからってそれが免罪符になるわけがないしさ。そもそも数万字の話を量産できるわけがないんだよな。文字数で長い方の皮算用するより短いので勝負する方がいいよ。言い訳できねえもん。