言語依存症

カタツムリの貝殻の中ではひとりでに動き回る物体が苦しくもないのに口元をハンカチで押さえている。物体は物体ではあるのだけど、心臓と肺は時計の様に無意味に動いている。画面の向こうでは真っ黄色のテレキャスターを大太刀のごとく振り回す人間がいる。別段変わったことじゃないなと見つめたりもする。テレキャスターは生きていた。

 

昨日から降り続いていた雨は止んだ。中途半端に曇った空が川沿いの桜を汚していた。水量の増えた川が胃酸を吐き出すように音を立てていた。アスファルトに溜まった水がどす黒く濁っていた。交差点の交通事故跡の花は萎れていた。キャリーバッグを持った親子連れが僕とすれ違って坂道を上って行った。北に聳える山脈の上のさらに上のほうがこの世の果てのような曇り方をしてぼやけていた。カメラがあればいいなと思った。

 

玩具を買ってもらった子供の様に言葉を振り回すという行為への自覚が芽生え始める。近くにいる人間を適当に言葉で刺す。うめき声が上がる。そいつを憎んでいる人間は一方的に歓声を上げる。世界のあちらこちらから聞いたこともない様な音が聞こえるのが楽しくて、言葉で手あたり次第人を刺した。気付けば自分の周りに大量の刃物が浮かんでいる。誰かに刺さった包丁の隙間に入り込んでくるような人間を探した。まだ探し続けている。永遠に見つからない予感がしている。都合がいいことこの上ない。

 

選ぶ権利がある。