ハッピーエレジー

遥か過去に、「風邪を引きたい」といった趣旨の記事を投稿した覚えがある。さて実際に風邪を引いてみた感想は、『何となく得るものがあるけれど、とりあえず風邪を引くなら春休みが良かった』。

 

ここ最近は頻繁に人に会う。他者との会話は最大の薬であることはいいのだが、毒も少量なら薬になるように、薬も過ぎれば毒になる。私は日常生活の間隙を縫って生まれた思考時間とその産物を元に色々と日本語をこねくり回す人種であったから、ものを考える暇がなければ何も生むことが出来ない。そうやって時間と薬を食べて空虚を吐き出すのは当の本人から見れば得てして幸福だし、未来の自分からすれば最大の不幸であるとすら思える。

どちらが先なんだろう、と思う。孤独への対処法として無から有を生み出すことを考え出したのか、それとも私は昔から孤独を好むような人間で、それが頭の中での思考の自然発火に起因するのか。今の私にとってはそんなこと二の次で、これから先どんな意識を持って心臓を回転させるのか、私が孤立ゆえの不幸を選ぶのか、幸福と名のついた麻薬を飲み干す代わりに非生産的人種になるのか、選択を迫られていることに問題がある。

出来ることなら両方を選びたい。両方を選んで、誰かが「絶望と出会えたら手をつなごう」と言っていたように、幸福がゆえの不幸と、不幸がゆえの幸福と、全て愛して生きていたい。それはきっと不可能じゃない。不可能じゃないけれど、私はそんなに器用でもない。幸福を願う人間が幸福になれないように、不幸を願う人間もまた不幸にはなれない筈だ。外的環境が作用して不幸に陥らなければ、結局のところ持ち前の自己憐憫症も鳴りを潜めるに違いない。それでは意味がないのだ。

幸福という名の毒は私の体内を冷ややかに循環していて、確実に血潮から意味を引き抜いていっている。それがゼロになる前に、私は精神に火をつけなければならない。燃やさなければならない。殺さなければならない。益虫のふりをした破壊者を、二度とこの眼に映らないようにしなければならない。