ストーリーとメソッドの話

 

物語を面白くするのに手っ取り早い方法があって、それは設定にひとつ嘘を盛り込むことだ――という文面を見ることがあって、本当にそうだなと皮肉なしに思います。事実俺はそういうメソッド的なものには懐疑的でないし、こういうことに反発を覚えるのはただ単に斜に構えているだけ、あるいは読者を楽しませることが作者の第一に考えるべき指針だ*1という基本がわかっていないかのどちらかだと考えます。

冒頭で述べた手法を、しかし、周りの人間が用いているのをあまり目にしません。なんとなく不思議なんですよね。嘘を盛り込むというのは行き過ぎにしても、ある程度ありきたりでないテーマもなしに書き始めるのは無謀というか無茶というか。嘘とはいかないまでもテーマは大事じゃないですか。流石にそのラインは守られていると思うんですけど(というか守れていないのなら何も書けないだろ)、嘘や突飛な設定をひとつ用意することで文章は見違えるほどに書きやすくなるし面白くもなる、というのをもっと知って欲しいんですよね。起きる現象が現実離れしているという例はあって、ダルセーニョはそういうわけで面白いのだし、ありすが死ぬ話は物語がわかりやすくていいじゃないですか。(俺も人のこと言えないけど)案外みんなこういうことをやりたがらないので、やってみてもいいんじゃないかなぁとふわふわ考えております。むろん、そういうことをしなかったら退屈になるなんてことは言ってなくて、でも、その平坦な状態から面白くするのは至難の業だし、面白くなくても良い作品ってのはたくさんありますけれど(純文学は退屈だったりする)、やっぱりその分書き手としての技術が必要なわけです。

色々な本があるじゃないですか。でも大抵の本はこういう手法を結局用いているものです。現実では絶対に起こりえない現象が事実として起こるか、普通に生きていれば絶対にお目にかかることのないような状況になるか、はたまたそれ単体で見れば不思議で仕方がない謎をじわじわ解きほぐしていって読者を楽しませるミステリか。面白いのはだいたいどれかです。嘘を盛り込むというのは一つ目にあたります。何でしょう、分かりやすすぎる例を挙げれば森見の夜は短しだとか、ボトルネックとか。雑に3つに分けたりすると、人によっては「型にはめてんじゃねー」と思うのかもしれませんけど、新体系作る実力なんてそうそう降って来ませんからね。読者に読んでもらうことを重視するならこのあたりのことは念頭に置かなきゃ駄目なんですよね。結局。そういうメソッドみたいなのにある程度反発のある俺が言うのだから、ちょっとぐらいは信じてください。

日本語がうまいへたの話を意識的に振ってきたわけですが、こういうストーリー展開の話をそのぶん蔑ろにしてきたよなぁとつくづく感じています。こういうことを考えるきっかけになったのはTwitterで「執筆能力は遺伝が85%」みたいなのを目にしたからです。日本語が上手くならないのはどうしようもないんじゃないか、と俺は考えています。本当に才能85%なら勝負できるのは物語の方なわけです。ね。水槽に嘘を一滴垂らす、というのをやってみてはいかがでしょうか、という提案です。強制する気は毛頭ないですけど、でも、やっぱり面白いものを書きたいじゃないですか。

 

 

 

 

 

余談:最近、俺は文章がマジのマジで下手だなぁと思うようになりました。下手じゃないにしても上手ではありません。少なくとも才能はないです。感性がぶっ飛んでいる(というか常人にあるなにかが欠落している)ので比喩は上手です。ともあれ展開の突飛さで勝負するしかありません。ジーザス。

 

 

 

*1:人によってはそうでないのかもしれないが、そうでないのなら読まれなくても文句は言えない