ロジカル

ツイッターで書くことじゃないなって内容のことがブログに記事としてたまっていく

好き嫌いの話をします 好きか嫌いかでいうなら、嫌いの話

先日、坪内逍遥小説神髄について調べものをしていて、ことのついでで抽象的なワードで検索をかけていた するとどうにも、なろう小説のサイトの記事が上に来る

読んでみると、まぁ誰でも思いつけるよな、って内容のことを書いていて、なんかぞわっとした 公開性羞恥

いやー、見苦しかった まずもってお前誰だ?という感じの人が中身のないことをそれっぽく並べ立てている

愚痴はさておいて、そうはなりたくないよな、と思ったりする ああいう人は創作への一種の神聖視をしていて、それで抽象的な議論が根無し草の風船みたいにひとりでに飛んでいく

創作って言葉、薄ら寒くて苦手なんだよね 名前をつけなくたってよくない? と思う 自己表現がどうのとかって二流の言うことだし 本当に一流の人間はそんなこと意識せずに無意識で手を動かしてる

創作論について話し始めたら人生おわり 人の言葉だけど、本当にそう思う だいたい、創作って言葉、なんか卑下にも聞こえる プロとアマの違い? 何かをやることを創作って呼ぶのアマチュアだけだもんな

俺がやっているのは創作なんて言葉で表現するものではなく、文字を書くことなのだ そういうことにしておこう

さておき長いことやっていると、自分の価値観の軽薄さを幾度となく実感させられる 経験なんてしょぼくて、本当に大事なのは知識 事実 自分だけで何かがつくれるなんて思わないこと たとえば、本を読むのは大事だけど、好きな(あるいは好きそうな)本しか読まないやつは一生強くなりません という感じ ナイフを研ぐのと眺めるのとの違い やるなら純文学と大衆文学の両方を読め、と言われる いや、マジで、だからミステリ専みたいな本とかラノベとか、読む必要ないよな あのね、教養って大事だよ 例えば夏目漱石1冊も読んでない人間が書いたものなんてたかが知れてるだろ いやいや、事実だ 俺も読み切れてないから頑張らないといけない 世間の無教養は教養のないことの免罪符を量産するからアレ たとえば教養の違いがアマとプロの違いだったりするよな うん 俺はアマの領域に留まりたくないぜ