アスファルトの黒

 

 

 

何かを得るたびに別の何かを捨てている。事実だ。当然だと思う。息をして、呼吸を繋いで、その分だけ過去を捨てている。忘れていく。真っ暗の方向へ一歩ずつ進んでいく。前に進むことは残りの時間を捨てることだ。動物は一生ぶんの心拍数が決まっているとか、そういう話を耳にした。有名な話だ。一回分の鼓動で、鼓動の残高を一回分消費している。当然だ。

今生きている人間は、それぞれが生きた分の集積として現れているという。そんなの嘘で、本当はバスケットみたいな存在なんだと思っている。ありったけを詰め込みたくて、そんなこと出来やしないから、好きな物から順番に詰め込んで、見たくないものは捨てている。詰め込めるものの量は生まれつき決まっている。歳を取っても永遠うだつが上がらないのはそういうことだ。キャパシティという言葉は人間を表現し得る。当然だ。

 

可能性の話で何者にだってなれるという。あれは半分正しいのだと思う。行けるところまでなら行ける、ただそれだけの話で、それを履き違えると、最後、墓場直行バスに死ぬまで体を揺られる目に遭う。当然だ。

捨てるってのはそういうことで、だから、毎朝ゴミ出しに行っているのと同じで、捨てなきゃいけないものを必死に抱き留めたりして、部屋に戻ってきてなお後ろ髪を引かれたりする。それは恐怖で仕方がない。今大事にしているそれらを、いつか捨てる日が来る。そういう日は来て欲しくないけど、でも、誰だっていつかはそれを捨てる。本当に怖い。怖くないか?

 

本当はもっとやりたいことがある。ひとりは気が楽で、でもそれと同じぐらいに誰かと言葉を交わしたい。やりたいことだらけ。誰かと交流することにおっくうになっている自分と、同じぐらいに新世界の空気を吸いたい自分がいる。そんなこと普段は言わないけど、安定を望むのと同じぐらいに変化を望んでいる。コミュニケーションは苦手だけど、嫌いでもない。会いたい。漠然と。そういう夜がある。今がそれ。

変わりたくないけど変わりたい。いくぶんか都合の良い夢を見たい。世界を塗りつぶされたくないけど、はたまたそうなってしまったらどうなるんだろうと期待をする自分もいる。日々、そういう自分を捨てて、つまらない選択肢を選び取って生きている。自覚がある。そんなもの嘆くだけなら誰だってできる。その先に進まなきゃ始まらないってことも理解している。そういう世界にいる。事実だ。当然だと思う。

捨てているという自覚をもって生きているか? 本当はもっと、何にでもなれたはずだ。無意識で殺してしまった無数の自分のことも考えてあげようぜ。そう思いながら、遠巻きに君たちの背中を見てるんだ、俺は。