捨てられる

 

 

 

世界の裏側からものを見ようと躍起になっている。裏側からは何も見えない。こういうのは結局光の当たる加減の問題だ。知っている。ちゃんと知っていて、昔はそんなことを思いもしなかった。自分の視界に映るものが世界のすべてだと思い込んでいて、ある意味それは間違っていない。地球のどこに行ったとしても、やっぱり視界に映るものが世界のすべてだ。とめどない光に貫かれればこの世界は純白に染め上げられる。その逆も同じだ。吐きそうなぐらいの闇で濁るのなら、もう逃げられない。

何をわめき散らしたところで、誰かが自分を見ている。およそ見なかったふりをしてくれるけど、事実は事実として消えない。黒板にチョークを滑らせるのとはわけが違う。皮膚をフォークが貫くのを、笑ってしまうほどに安っぽい血しぶきを、ただ黙って見ている。テレビの向こう側よりは近い距離感で、でもけっして近寄ろうとはせず、ただ、眺めている。カフェの2階の席からスクランブル交差点を見下ろすように。

 

決して捨てられない。誰かが見捨てることはない。

 

そんな季節がある。誰だってそうなのかもしれない。誰だってというのは言い過ぎなのかもしれない。満たされていれば音はしない。ただ静かに、安らかに、双六の上を進んでいく。それは都合がいい。全員が全員、それだけ単純だったら、どんなに世界は変わっていたのだろうね。あるいはここだって、そういう道の上にあるのかもしれない。どっちだっていい。見えている世界が全てだ。

雨が降って、3回ぐらい別の花が咲いて、人は傘を畳む。雨上がりに虹がかかるのは退屈だ。待ちはするのかもしれない。すこしだけ空を見上げて、その退屈さに、やっぱり首を下ろす。何にも書かれていない正方形を踏みしめて歩く。不気味な空の下を歩いて、気付いたら色々なものを失っている。

誰かに見てもらいたいのなら、行く先を間違っていた。別の番線へと続く階段を下りていってしまっていた。折り返せる。正直にならなくちゃ。嘘はいけないなんて言わない。でも、その嘘は不必要だ。今まで上ってきた階段を折り返すのは勿体ない、なんて考えない方がいい。まだ捨てられていないから。人間は味のないガムじゃない。インクの乾いたペンでもない。飽きられた猫でもないし、車に轢かれたその死体でもない。ちゃんと見られている。見られて、名前をつけられている。

いつだって引き返せる。信じた方向に進むことはできる。間違っていると心の底から思い込んでいても、でも足が止まらないときだってある。分かっている。否定はしない。いつか受け入れる準備が出来たら、そのときに階段を下り始めればいい。

傲慢。武器。過去の栄光。栄光ですらない何か。怠惰。嫉妬。自分を蔑む自分。過去そのもの。苦杯。欲望。闇。思想。決心。決意。軸。事実。安っぽい怒り。自己憐憫。隣人愛。隣人愛に見えなくもない別の何か。偽物の天気予報。形容詞。玩具の銃。紙束。雑草。心臓。

いつだって捨てられる。