空想信者

 

 

空想の世界を生きてきた。初めからそうなるように決まっていたのだと思う。空想の世界とは言ってもファンタジーだとかSFだとかそんな代物じゃない。現実世界に水色のフィルムをちょっと重ねてやって、浅い海を生きるように、海水に包まれるようにして呼吸を繋いでいた。

 

試験期間だという。勉強に身は入らない。因果律だ。朝方に雪が降って、昼間に雪が降って、少し止んでからまた降って、そんな天気だった。少し外に出てみる。白い車が白色に変化していた。急に思い立って、それで例の公園へと行くことにした。

 

例の公園とは先斗町公園のことである。無数の街灯にネオンサイン、飲み屋の客引きに人生の絶頂のような表情をした泥酔状態のスーツたち。そんな現代の妖怪が跋扈する、眠らない飲み屋街こと木屋町を外れた先に、そのひときわ静かな公園は佇んでいる。

その公園に初めて漂着したのは大学1回生の頃だったか。先斗町に鍋を食いに行くのだと4人ほどで結託し、しかし順番待ちで店を追い出され、30分時間を潰す羽目になった。行き場をなくした我々がたどり着いたのが先斗町公園だった。暇ゆえ"ム"と"素"以外で終わる元素の名前を挙げられるだけ挙げ尽くしていた記憶がある。

3回生になって、この公園に足を向けることが多くなった。不思議な縁があるというものである。経緯は完全に偶然で、たまたま暇なときにたまたま近くにあったから、それだけだった。2年ほどが経過しても公園はさほど変わっていなかった。変わったところといえば遊具の工事をしているところぐらいか。でも、別に公園に何か遊具を新設するとかではないと思うので、変わったところとも言えないな。言い忘れていたが、この先斗町公園、公園というだけあって遊具がある。シーソーやらブランコやら滑り台やら。でも遊具はその3つだけで、あとはベンチと砂山がいるだけだ。30年ほど前のそれに比べれば、随分と公園らしくなったと言えるだろうな。

どうしてそんなことが言い切れるのか、という話をしようか。疑問を抱くことは当然だ。30年前、俺は生まれていない。でもその時点で既に先斗町公園は存在したというのを事実として知っている。というのも、どうやらあの公園、親がよく行っていたらしい。当時は遊具らしい遊具なんてものはなく、砂山がひとつ鎮座しているだけだったそうだ。

親がその場所に通っていたというのは決して嬉しくない偶然だった。どちらかといえば不気味で、不快だった。しかしその話をしたくてこの記事を書いているわけではないから、これ以上は何も言及しないことにする。俺は今日の公園のことを書きたくてキーボードを叩いている。

公園に着いたとき、雪は降っていなかった。公園の前には、リードをつけずにコーギーを散歩させている着物の人がいた。先斗町は寒さのわりに人通りが多く、まばらではあったが公園にも人影が見えた。

 

f:id:ymd104:20190127004848j:plain

 

工事はまだ続いているようだった。木にも工事用の重機にも例外なく雪が積もっていた。木はまるで月明かりに照らされているようにも見えた。事実、ひときわ大きな半月が恩着せがましく公園を照らしていた。

 

f:id:ymd104:20190127005227j:plain

 

上でいうところの砂山がこの写真に映るそれである。砂山の奥には鴨川を見下ろせる場所があって、俺はその絶妙に窮屈な空間が好きだったりする。

 

f:id:ymd104:20190127005752j:plain

 

左に見える水面が鴨川である。――こう書くと正しくない。左に2つの川が見える。手前はただの小川で、その向こう側に見えるのが鴨川だ。鴨川が見下ろせるこの空間には石段が置かれていて、景色を眺めるのにちょうどいい位置取りがなされている。ただ、終電までの猶予が残されていなかったから長居はできなかった。

何を言いたかったわけではない。でも、せっかく雪が降ってるのに、家に籠ってるのもちょっと勿体ないだろ。雪は景色をそこそこに変えてくれる。公園を出ようとするときに見かけた黒猫だって、地面が真っ白に塗りたくられていなければ、闇に溶けてしまっていて存在に気付けなかったはずだ。あるいは、出口の柵の柱の上に置かれた小さな雪だるまだって、雪が降らなければ存在しなかった。雪が降ったからこそ、その雪だるまを作った人に思いを馳せることができる。雪が降っていなかったら。その世界線で、俺は随分と損をしている。風が吹いて電線からドミノ倒しのように枝垂れ落ちる雪の塊。植木に積もった一面の雪が泡風呂のように見えたこと。滑って転ばないように、アスファルトを一歩一歩踏みしめる人の足音。夜にぶら下がった下弦の月。眠る重機。歩く黒猫。どこまでも大げさな夜空。静寂。現実も、吐き棄てるほど色褪せてはいない。そう思えるような、空想と現実の中間のような世界だった。

京都では雪が珍しくないけれど、ありふれてもいないだろ。少しだけ想像に溶けこんだ世界を、せっかくだから、見回してみようぜ。