望遠鏡 その2

 

 

どうも。前回の記事の続きです。続きとは言っていますが前回と同じようなことを書くことになる気がします。一つ目の見出しがそれに該当するので、読み飛ばすといいかもしれません。

この記事、というかブログに投稿している記事全部に対して言えることですが、考えていることをわざわざ言葉に翻訳する一連の行為は自己との対話を目的にしています。もっと言うならば、今の自分との対話のみならず、過去の自分との対話も同時に可能にするための機構でもあります。なので、そういう目で見てください。以上、自分語りの正当化でした。

 

 

そもそも何を目指しているんだ?

俺の底みたいなのはわかりやすくて、というか浅くて、要するにただ力が欲しいだけだったりします。これはモノカキに限りません。なにか出来るようになったら嬉しい、というだけの、それはもう純粋な、まるで子供みたいな願望です。事実子供です。

無力というのは悲しいじゃないですか。空しいじゃないですか。実体が欲しいんです。幽霊にはなりたくない。自分自身がいま生きているのだと確信していても、他人から見えなければ意味がない。そういう意味での幽霊というメタファーです。

何者かになりたいだとかそんなことを考えるような精神年齢ではありませんが、俺が抱えているのはそういうありきたりな欲求ではなく、もっと実利的なものだったりします。わかりやすい例を挙げます。顔が良ければコミュニケーションが楽になるだとか、めちゃくちゃ歌が上手ければ一目置かれるだとか、多少頭が良ければ食べるのに困らないだとか、そういう現実に即した思考です。手の届く範囲が増えると生きやすさが変わるでしょう。それを強く実感する瞬間が頻繁にあって、だから、できることなら手の届く範囲を拡充して、ちょっとだけ楽に生きたいのです。そういう意味で力が欲しい。誰の眼から見ても明らかな実体が欲しい。前回は弱者がどうだとかのっぺり論じてましたが、まぁ似たような話です。手の届く範囲が狭いのが弱者です。弱者は怨恨をぼそぼそ呟いている暇があったら少しでも努力するべきで、実体を得るために適切な費用を支払うべきです。肩書き。承認。名誉。あるいは金銭。そのあたりを追い求める人間を軽蔑しがちな空気が社会には漂っていますが、そういう人間を下賤だと見下すのは大抵が弱者で、両者を見比べてみてどちらの言葉に説得力があるかなんて明白なわけです。*1

 

でも結局、ここまでの話は、当然と言われればその通りと返すしかないわけです。当たり前です。そもそも我々大学生は保護される側から少なくとも自分だけでも保護できる側へと移動するために大学に通ってるんだし。俺はその角度が少し趣味の側に回り過ぎているぐらいのもので、本質的にはやっぱり誰とも違わない。誰だって力が欲しくて、力を得た先にある多幸感だとか安寧だとかのために日々を過ごしている。そんなもんです。遠い先の未来を望遠鏡で覗いて、あるいは想像したりして、視界に映ったあれこれや想像をエネルギーに車輪を回してる。別に感慨深くはありませんが、方向性は違えど同じ世界に住んでるわけなんですね。ちょっとだけ気分が軽くなった気がします。

 

 

 

 

趣味

これ以上書くことがないので、趣味の話をします。

散々主張してきたことのように思うんですが、好きなことを晒すことが本当に苦手です。苦手というか、意味を見出せないのです。趣味とか嗜好を誰かに伝えるのは自分の心臓をさらけ出すようなもので、簡単に攻撃され得るんですね。これが苦しい。今まで幾度となく自分の嗜好がすげなく否定される瞬間を目にしてきました。誰だってその経験があるはずだと想像しています。俺はそんな経験をあまりに積み過ぎたものだから、嗜好を晒さないことが何よりの安寧だったりします。それから、自分が何かを好きだと言うことで、他人を否定してしまえるのが怖い。何かに傾倒しているということは選ぶということで、それ以外のおおよそすべてを否定することに他ならないのです。それは無意識に他人の心臓に針を突き付けているに等しい。よく分からないのなら二択問題を考えてください。片方を好きだと言えばもう片方は選ばれなかった方になります。ライクを主張する行為は自身の被攻撃可能性を格段に上昇させ、同時に他人への攻撃でもあります。まぁ普段はここまでのことを考えずに生きているので、普通に何が好きだとかを口走ったりするんですけどね。積極的になれないのはそういう理由です。

考えすぎだと思うのなら、あなたはあちら側の人間です。

ともかくも俺は好き好んで好みを暴露したりしません。自分が誰かの嗜好を受け取ることはあっても、バンプの良さを誰かに発信しようとは思わなかったし、今もそうは思っていない。ナイフのどこが好きなのかは一生俺の心の中の檻に閉じ込めておけばいいと思っていたし、今もそう思っている。周りの人間にアジカンだのあまざらしだのを聴いて欲しいとは到底思えないし、俺がそういうの聴いてるって情報さえ知っていてくれれば他には何もいらない*2。俺の思うところは全部、押し入れに乱雑にしまっておけばそれで済む。まわりの誰が何を聴いてるのかって情報に興味がないわけじゃないけど、その領域に踏み込んだら俺は人を傷つける可能性を入手してしまうから、やっぱり気安く踏み込んじゃだめだ。

それでも俺が趣味の話をするときは、それは半分ふざけているときだったりします。今から趣味の話をするのですが、つまり、俺はネタのつもりでやっています。よろしく。

 

 

読書

俺は読書が大の苦手ですが、趣味と言い張っています。苦手だが嫌いじゃないというのも理由の一つなのですが、それ以上に、俺が読書を意識的にやるように心がけているからです。本当に読書をよくやる人間は酸素を吸って吐くみたいに本を読みまくります。もはや無意識でしょう。それなら彼ないし彼女は読書を趣味だとも思わないはずなのです(誰も趣味の欄に呼吸って書かないじゃないですか)。ですから俺は安心して趣味を読書だと言い張れるんですね。

書き終わった後に気付きましたが、この話は結構いろんな人にしてる気がしますね。

本を読むのは苦しいですが、嫌いじゃないです。自分に欠落している視点を与えてくれるのはおよそ本です。だから読後には読破前と別人になることが出来るわけです(本の内容にもよるけど)。あと、何か得るものがある趣味っていいですよね。

 

物書き

物書き体験は想像以上に多岐に渡る体験で、要するにパソコンに向かってタイピングしている時間だけが物書きってわけじゃないという話です。一度何かを表現することにハマってしまうと、それはもう、人生がそれ一色に変貌します。例えば、外を出歩く行為が、何か表現したいものを探す旅に変化します。目に映る森羅万象を、どの言葉の組み合わせで表現するかという尺度で無意識に捉えようとする体になります。日本語についてあれこれ考えます。物質ひとつひとつに対して、ぴったりとくっつく比喩を考えたりするようになります。自分が抱いた感情を言葉にしようと必死になります。

それこそ同じ趣味の方なら肯けることだと信じていますが、生活が物書き中心に様変わりするのです。これがなかなか悪くない。何かに気付いてそれをメモ帳に貯め、逆に新しいものに触れようとして行動を起こしたりする生活。いいものです。

物書きといえばもうひとつ様変わりするものがあって、それが読書です。今までさらっと読んでいた文庫本を、数十倍から数百倍にかけてのおぞましい時間をもって読破することになります。日本語書いてる人ならご存知でしょうが、物書きで難しいところのひとつに「読者が流し読みする箇所を上手に書く」ことがあります。書き手のその技術を学ぶため、普段読み飛ばすところを精読するのだから、普通に読むのとではかかる時間が段違いなわけです。読書は苦手だが嫌いじゃないと言いましたが、こちらの文脈における読書は苦手だし嫌いですらあります。時間がかかりすぎる。それでも、そういうのも物書きの宿命なんですかね。そんな偉そうなことを言えるほどのものは書いてませんけど。

 

ギター

普段から言ってることだしありきたりなことしか書けなさそうなので省略します。楽器はいいものですね。

 

飯を食う

突然趣味っぽくないのが顔を出します。許してください。

高い飯を食うのが好きです。別にそこに高尚さはありません。結果的に雑になってしまいますが、本当に書くことがないのです。お菓子を食うのも好きです。甘ったるくて綺麗なカクテルを見るのも好きです。

 

旅行

東京に旅行に行くのが好きです。大学一回生のときの旅行で得た感慨みたいなものを忘れたくなくて、なるべく頻繁に東京に足を運ぶようにしています。東京に行って飯を食ったり、街を歩いてそれぞれに自分の中で意味を見出したりしています。誰か東京旅行に行きませんか? 夕焼けが綺麗だったりしますよ。

余談ですが、懐かしいという感情がプラスイメージなのはなんででしょうかね? 俺はもう自分の中で答えを出しているので、俺と同じように答えを思いついた人は耳打ちで教えて下さい。

 

深夜徘徊

深夜徘徊が存外好きです。徘徊という言葉に良くないイメージがある方は、深夜に散歩に出掛けることだと言い換えてやってください。街が死んでいるので好きです。車も通らないような街の車道を歩いていると、崩壊した世界の疑似体験ができるのでおすすめです。それ以外の動機なら、考え事に向いていたりもします。昼はどうしてもうるさいので。夜は邪魔がそうそう入りません。

 

麻雀

麻雀が好きというより、麻雀中にふざけたことを抜かすのが好きです。俺は誰かと居るときは四六時中ボケることばかり考えていて(ボケた結果の打率はおよそ2割5分)、麻雀中はなんとなくコメディの精神が加速するから好きだったりします。

 

カフェめぐり

その顔で? うるせえ。カフェに行くのが好きです。カフェに行って、進捗を生んだり本を読んだり、どうしようもなくそういうのが好きです。しがない男子大学生の趣味にはそぐわないような気もしますが、嘘は吐けません。あんまりハシゴとかの経験はないけれど、つまり正確にはカフェめぐりではなくカフェに行くことなのだけれど、そろそろ暇を見つけて本当のカフェめぐりをやってみたい気持ちがあったりもします。

 

本屋めぐり

本屋で2時間溶かせる人種です。本棚を牛の歩みぐらいのスピードで見て回るのが好きです。紙の匂いに全身を燻すのが好きです。それから、読んだことのない本の内容を想像するのも好きです。あの昂揚感に勝るものはないとすら言えます。紙の本がもし絶滅してしまったら本屋体験も味わえなくなるのでしょうか、と想像するたびにもの悲しい気持ちになります。

 

雑貨屋めぐり

その顔で? うるせえ。雑貨屋も好きです。どうしてあんなに楽しいのでしょうね。わかりません。でも、棚に乗っているものそれぞれに規則性が薄いところが好きなんですかね。陳列されてる賞品いちいちに、どうしてこれがここに置いてあるんだ?と胸をときめかされます。店主の気持ちを想像するのもまた一興。この商品をどうして入荷したのか?と頭を巡らせてみるのが面白いのです。例えば雑貨屋には「謎の象の玩具」「引っ張ると変なポーズをとる二足歩行のキリン」「やたらアバンギャルドな柄のハンカチ」「タイトルが謎過ぎる本」「店内に一つしかない帽子」「そもそも商品なのか店としてのインテリアなのかすらわからない物体」みたいなのがわんさかあって、それらいちいちにちょっと物語を見出してやったりするのが楽しいわけです。

 

 

 

 

今日はもう遅いので寝ます。

続きは思いつけば書くかもしれません。

※某お酒を飲むところで誰かに話したかもしれませんが、絶対にこういう場所で書かないような趣味もあって、それは書かないようにします。

 

 

 

*1:注意:ここでいう弱者は単に努力可能性を保持したままサボっている人間のことです。実体を得るために必要な努力すらままならない人間については論じていません。

*2:自分が何を聴いてるのかって情報を予め持ってもらえると、うかつに攻撃されずに済むわけです。