ブルーデージー

誰しもが抱える主張のひとつやふたつを、しかし今の俺は多数を弾倉にこめようとしている。いきなり分かりにくい書き出しで申し訳ないが、それはもう単純なことで、気取った言葉を選ばずに表現するなら、言いたいことがたくさんあるということだ。

誰かが文章中の情報の流れという話をしていた。俺の想像の中でその言葉はぐにゃぐにゃと踊っている。さながら酩酊のようだ。酩酊というのは単に、その言葉の解釈が酒に酔ったときのようにふわふわしているという意味だ。つまり、言葉の実像を捉えきれていない。まぁそれも無理のないことで、そもそも捉えようとしていなかった。有体に言えば軽視していた。軽視というと棘が強い。別の言葉に置き換えるなら、二の次にしていた。

情報の流れという概念をほっぽり出していたのは、俺にとって文章をだらだら書く意義が主張そのものにしかないからだ。わかりにくいか。具体例を挙げる。大阪から東京まで行くにしても、色々と方法があるだろ。でも俺は目的地にしか価値を見出していない。その道中をどうだっていいと考えている。そういうこと。読者に主張をぶつけられればそれでいい。それにしか意味はないと思っている。俺はね。ちなみにこれは俺が書く場合の話で、他人の話はしていない。

次いで俺が重視しているのは分量だ。なるだけ短い方が良い。同じ読後感を味わえるのに30分で読み終えられるものと10時間かかるものなら前者の方がいい、という話。ひとえに短ければそれでいいとは言っていないので、一応ここに断っておく。

大阪から東京まで、新幹線と夜行バスと在来線があって、俺は新幹線が一番いいと思っている。読者を主張パンチでぶん殴るなら、その最短経路を突っ走る。*1そういう気持ちで書いてる。そういう気持ちで書いてるから馬鹿みたいに水が少ないし情報の流れが断続的なのだ。情報の流れだとかを軽視するに至った理由はそこにある。

まぁ、あれだけ情報の流れをブチブチ千切って日本語書いてれば、当然下手くそにも見える。俺はその点を割と気にしていない。書きたいことを書ける以上の満足感はない。あとはどうだっていい。真面目にそういうところを意識して書けばもっと上手くなるのだろうが、結局それは目的地への行き方の問題で、外聞の問題でもある。外聞をよくするために文章書いてるわけじゃない。日本語上手いねって言われたくないのかと胸倉掴まれて耳元で叫ばれてみれば「そりゃ言われたいよ」といった本音が出てもおかしくないが、でも、やっぱりそれは二の次だ。いくら日本語が美しくても、主張がないのなら俺はそれを無価値とみなしたりするでしょう。*2結局主張が出来ればそれでいい。最後の方の一文と説得力の確保のための下手くそな残りの全文の意味が辛うじて通ればであればもう充分だ。

 

両方あればいいって? 今からその話をするんだよ。

いや、綺麗な日本語と主張のある日本語はなにも二律背反じゃない。俺はせっかく主張のハンマーで読者をぶん殴るパターンの文章を書けるんだから、ついでに綺麗な日本語を目指してみようぜ、と最近は思い直している。*3俺は文章が下手だが、単に妥協してるだけで、別に書けないわけじゃない*4。でも、綺麗な日本語を書くのは疲れるんだ。本当に。ただでさえ長ったらしいのを書いてるのにそれの手直しに文章を積み重ねた時間と同じぐらいのそれを費やさねばならない。例えば俺はこういうブログの記事は一回書き終わってしまえば一度も推敲せずに投稿してツイッターに連携してそのまま寝るのだが、記事を書く時間が2倍に増えるとなると厄介だ。おそらく床に就くのが朝の6時とかになる。そこまでやるほどじゃない。身体を削ってまで記事を書くのは嫌だ。だから当然記事の推敲なんざやるわけがないんだけれど、ブログとssとは違う。ブログの記事は噛んでは捨てるガムみたいな対象で、一度書いたらもう終わり、俺は自分の書いた記事をそうそう見返さないし(見返すと自分の書いた日本語の劣悪加減に反吐が出る)、誰かに読まれたとて、やっぱり適当にスクロールされ、あるいは途中でブラウザバックされて終わりだ。あいにくssとかになるとそれは本になって誰かの手元にしばらくとどまり続けてしまう。また、単純にその文章を目に入れる人間の総数が桁違いだ。だから、少しは日本語の美しさに拘ってみたりするべきなのだ。

 

実はこの記事にしたって、情報の流れを多少意識して書いている。前の段落だって、普段の俺なら3文程度で終わらせていた。実際は何文だろう、少なくとも3文よりは長い。感想は「案の定疲れた」。書くのは疲れるよ。本当に。この時点で2000字も書いてるんだぜ。普段ならこのあたりで記事が終わっていそうな量だ。普段の倍ぐらいの熱量と時間をもって日本語を書いてるから、倍ぐらいの疲労感があってしかるべきなのだ。そもそも俺は主張が好きなのであって、別にその媒体なら何でもいいと思っているらしい。これは最近気が付いたことだ。要するにその媒体は日本語じゃなくてもいいはず。でも結局は日本語が一番伝わるから、致し方なく日本語を書いている。言葉を考えるのは嫌いじゃないけど苦手だ。下手の横好き。

 

もう疲れたので、情報の流れとか気にせず適当になんか書きます。

 

 

 

こいつ俺より絶対頭いいよなって思った相手に巡り合った経験があまりない。*5これはそういう相手に恵まれなかっただけのことで、おごり高ぶってるわけじゃないし井の中の蛙でもない。俺よりずっと頭のいい人間は世の中にごまんといて、具体的には日本だけでも5万人ぐらいはいるはずで、でもそういう人間とは運悪く(運よく?)巡り合わない人生だった。中学のときはこいつ絶対に俺より頭いいよなと思っていた人間が友達に一人いて、でもそいつはいじめに遭って灘に転校した。

ときどき反実仮想を考える。例えば俺の方がそういう憂き目に遭ったとして(俺はそういう被害の対象にならないタイプの人間なのであり得ないことなのだが)、高校から灘にでも行っていたとしたらどうなのだろう。きっと東大の理Ⅲとかを目指してたんだろうな、と考えてみる。今の自分の心情と照らし合わせてみると、本当にいっときの気の迷いかなんかで医学部*6に行かなくて良かったなと思う。考えただけでもぞっとする。実家が火事になる想像よりも背筋が凍る。きっと高校時代と同じの無趣味のままで、無駄な大金だけ残してそのまま人生が終わる。受験に受かる可能性があるからってだけで大学6年間を医師になるための勉強に費やす人生。最悪だ。

同時にこうも考える。きっと医学部に入ってたら、自分より頭がいいと断定してしまえる人間にたくさん出会っていたのだろうな。それはそれでどうなのだ? でもきっと、今のように、頭がいいだの悪いだのという杓子定規を本当に下らないと見下せるような人間にはなれていなかったんじゃないかな、と思う。いい世界線に漂着した、としみじみ物思いに耽っている。

 

 

本当はもっと書きたいことがたくさんあったはずだが、一つ目のことを書いているうちにあらかた忘れてしまった。いつか思い出したときにでもゆっくり吐き出そう。もう4時だし。

*1:俺が書いて6万字とかなら、最短経路が6万字だったのだと了解してくれ。

*2:クリシェを目の敵にしてるのはそういうことでもある。

*3:このために、やけっぱちで編集室に出した文章を削除して一部書き直したりしている。

*4:と信じたい人生でした。-完-

*5:注意:俺の周りにいる人間は大体俺と同じぐらいに頭がいい。でもさほど差を感じるわけじゃないから、俺より絶対頭いいとは思わない。なんというのだろう、相手との圧倒的な差を感じたときのあの感覚の話だ。

*6:厳密には理Ⅲだからといって医学部とも限らないのだが