日記

一日に点数をつけるとしたら、という架空の課題を考えている。

何点だろう?

60点ぐらいか。

 

それはそうと、今日の空は理想だった。

ああいう空の下を遊泳していたい。

ああいう空の下を遊泳して欲しい。

何だろう。映画のような空。

仄暗い雰囲気のレンズを通して見上げたような空。

 

 

 

 

時間の使い方について

昨日も今日も時間を浪費していた。昨日は「明日こそは本を読むか字を書くかするぞ」と決意のままに床に就いたのに、結局一日は怠惰に過ぎていく。何かを書き終わったタイミングと誰かに読まれるタイミングの真ん中にあるモラトリアムはとにかくモチベーションが低下するな。行動に移す積極的理由も消極的理由もない。

ぼけっとしているうちに一日は手のひらから零れる。使えた休日はしっかり消える。わざわざ昇った陽は落ちる。誰かが火をつけたわけでもないのに導火線上を火がにじり寄ってきている感覚があって、でもそいつの歩みが笑っちゃうくらいのろまだから焦燥感が薄い。焦燥感は確かに宿っている。結果を残さなければならないなんて環境に身を置いた覚えはないし、事実結果を残さなくたって世界に置いていかれはしないはず。でも自分に失望はしたくないから、這いつくばって文字を書く。はるか上空の成層圏を見上げながら、いつかあの場所に触れなければならないのか、と寝ぼけ眼で呟く。呟いて、今日も、ゴミ溜めの隅で不健康そうな色の花に水をやっている。毎日はそうやって過ぎ去っていく。

明日は地元の街を歩く予定。雨が降らないといいな。晴れ過ぎても困るな。今日みたいな、交通事故の七回忌みたいな空だといい。

 

創作支援ツール

創作支援ツールについて調べたことに理由なんてなかった。檸檬を片手に街を歩くような、そんな感覚だったのだろう。道具を使って少し便利になりたかった。自分の外側に世界を変えて欲しがっていた。本質的に何も変わらないなんてことは分かり切っている。だから、ほんの気晴らし程度でよかった。気晴らしでも、少し違った環境に身を置いているような気分になりたかった。

調べていると、何となく傾向が見えてくる。

創作支援ツールは物語の設定に関することばっかりだった。

登場人物の名前を決める手助けとなるようなソフト。登場人物の設定を管理するようなソフト。あるいは、設定をある程度自動的に生成してくれるソフト。

何となく、自分との差を感じる。小説を書くときに設定をごちゃごちゃ考えるようなことをしたことがない。でも世の中、そういう風にして物書きを楽しんでいる人間は大勢いる。

きっと楽しいんだろうな。まだ白紙のノートに好き勝手設定を綴る、あのときの楽しみがそこにはあるんだろう。

 

話は変わる。世の中には、難しい語彙がせっせと使われている割に文章力が乏しく薄っぺらい小説的な何かが普く存在する。誰も聞いたことが無いような謎の二字熟語、平仮名で書けば分かりやすいところをわざわざ引っ張り出される漢字たち、しかし文章自体はダサい、みたいなそれ。気取っただけで中身のない人間の書くそれだとか、設定を練り上げることに満足しているだけのあれだとか、因子は共通してると思っていて、単純に言いたいことがないだけなのだろうね。別に否定はしない。否定したところで何様って感じだし。肯定もしない。ただ人種が違う。それだけだと思っている。

でもまぁ、語彙という言葉の意味を取り違える人間になると致命的だ、とは覚えておくべき。当たり前だけど、語彙が難しいことが良いなんて図式が成り立つはずがなくて、むしろ逆だったりするし、でもその当たり前は案外知られてもいない。

砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないって本があるだろ。そんじょそこらの高等な語彙の小説よかその本の語彙の方がずっと簡単で、ずっと善い。戒め。例えば女子中学生の語りで物語が進行するんなら、ちゃんとその点で尤もらしい文章を書くことを意識するべき。これを意識しないのは怠惰だ。何度も言うが、これは自戒。

 

書いたss

校正をやり始める時期になったら多分読まれてしまうから、今のうちに好き勝手言っておこうと思う。自分の作品に関する自分語りってあんまり好きじゃないけど、ここはブログだしこの記事のこの節を読む人はそんなにいないからいいよな。

 

今まで書いたssは大抵示唆的だったのだけど、今回はそんな気難しいこと意識せずに書いた。いや、そのはずだったんだけど、結局示唆的になった。示唆的なのは特に最後だったりする。。ふだん他人の解釈に精を出すことは少ないのに自分は解釈されたがるのもおこがましいので別に解釈されなくても拗ねないけれど、でも、誰かが最後の彼女の選択の理由を考えてくれていたら、この作品も浮かばれることだろう。

解釈といえば、誰かが伏線というかヒントに気付いてくれたら嬉しいなぁとも思っている。

内容はさておき、俺は文章自体を憂慮している。というのもいつにもまして水が少ない。それから文章がそんなに上手くない。今回は上手くないなりに完結目指して暴走をした。どうしても最後のシーンを書きたかった。あれのために残り48000字を書いたと言っても割と過言じゃない。文章が下手だと思っても許してくれ。自覚はある。

 

 

 

 

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現実の縁が見え始めると、案外世界は憂鬱になる。広がったように見えていた世界もあっけないほどに何もなくて、でもそんな空間から少しずつ手の届く範囲を広げていかなければならない。何も失ってないのに何かを失っているような気がして、苦しい。

どうせ歩くしかないのにね。