近況報告⑥

400字進みました。誰か褒めてください

 

 

 

 

チキンなので

東京にいます。明日明後日とライブがあるので。新幹線使うんだし今日は京都滞在で明日出発でも構わなかったわけですが、まぁ万が一のことを考えて前日入りしているというわけです。総武線沿いで羽を休めています。地下鉄の駅のプラットホームがどことなく退屈な日常の連続と死を連想させる雰囲気でした。枕木の下には水が通っていて(何故?)、線路を挟んでホームと逆側にある謎のスペースに雑草が生えていたのがあまりに印象的です。明日は何故かホテルの朝食が用意されていて、せっかく朝食を食べる権利を有しているというのに行使しないのは勿体ないので早起きせねばなりません。じゃあこんなくだらない記事書いてないで寝ろよって話なんですが、これには深いわけがあるわけでもなく本当にその通りなのです。でも俺は何かしら文字を書いて達成感のままに床に入らないとどうも寝付けない体質だから、貴重な睡眠時間を削って三途の川で石を積むがごとく記事を書いているわけです。

 

読書について

読書量って単純な蓄積じゃなくて、徐々に揮発していくものだと考えています。だから真の意味で読書量を増やすためには継続的な努力が必要条件なわけです(あたりまえ)。揮発性は本の内容に依存する。例えばつまんねえ本の内容はすぐに忘れ、すごい本はなかなか揮発しにくい(読み方にもよるが)。この辺りの話を鑑みるに、自身の背後に聳える読書量を増大させるには揮発性の低い本を選んで読めばよいということがわかりますし、自身が影響を受けたと感じるような本は自身にとって揮発性の低いものだということも言えます。

思うことはたったそれだけです。こういう考え方をするとちょっとだけ世界の見通しがはっきりするのかもしれませんね、という話です。以上、新幹線で本を読むぞと意気込んでたくさん文庫本を持ってきたのに車内で爆睡してしまって気付いたら新横浜だった、というありがちな悲哀を身をもって体感したymdでした。

 

クジラについて

俺は一次創作に手を付けるとどうも100%死にまつわる話しか書けない。どうしてだろうね。別に俺の周りに漂う粒子は死の色をしていない。俺自身も至って健康で、周りにことさらそういう兆候のある人間がいるわけでもない。しかし生得的なアレコレが俺に死の話を書かせる。死以外の話を書かせない。前述俺は死とはもっぱら無縁で(飼ってる犬が死んだくらいだ、それも目の当たりにしたわけではなく、彼女の死に際して俺は京都でのほほん過ごしていた)、だからそんな俺が死について書いても何の説得力もない。死を軽視しているようにすら思われても当然だ。だからせめてもの説得力の付与として物語調で書いてるわけだ。盛大なネタ晴らしをするが、それがクジラの話の正体だ。(別にこんなこと書くまでもないのだが、どうせ伝わらないと拗ねるより、伝える努力をする方が結局自分のためになることに気付いた)

何かを物語調で書くことのいいところは、それはもう説得力の差にある。俺は誰かの耳元で叫びたいことがあって、でも当の俺が発言者だったら「うるせえな 鎮まりたまえ」で済まされてしまう。だから物語を媒体にしてなけなしの説得力にバフをかけている。