クジラの骨

「空のバケツは音を立てるという警句がある。自身に宿る説得力の大小を取り違え、その架空の説得力を後ろ盾に大声を上げる人間が世の中にはごまんといる。――それはもう、うんざりするぐらいに。空のバケツから放たれる言葉なんざ、本当に聴くに堪えない。その無価値を耳に入る前にシャットアウトする努力が必要だ。君はほら、よくイヤホンで耳を塞いでいるが、あれだって一種の自衛だろう。しかして世の人間は単純で流されやすいもので、声の大きさと言葉の強さによる紛い物の説得力を信じてしまうものだ。その薄っぺらい内容を攻撃的な言葉で覆い隠して、あっという間に思考停止の烏合の衆を味方につけてしまう。現実はそうだ。いくら理想を唄おうとも、理想ごときが現実に勝てるわけがない。その事実は認めなければならない。認めなければ、君は理想主義者にすらなれないのだ。そうやって認識に妥協してこそ、初めて理想を探す旅が始まるのだ。はてさて、君はナイフを飼っている。刺し違えてでも現実を殺してやろうというナイフだ。ずっと自衛ばかり続けてきた君の持つ唯一の凶器だ。君のナイフはどうだ? 本当にそれはナイフか? 気付いているんだろうね、きっと。君の研いでいたそれは、研いだつもりになって浅ましい自己憐憫と慰めに浸るための自衛の手段だったのだ。それはそうだろう。君が放ったナイフが誰かの心臓に深く突き刺さったことは一度だってない。誰かの人生を1ミリでも動かせたのか? 冗談は大概にしてくれ。君が必死に研いでいたつもりになっていたそれは何だったのだろうね? 玩具の拳銃か? そんな安っぽくてつまらないものを蟀谷に当てて大騒ぎしたところで、誰も意に介さないだろうに。気付いていなかったのは君だけだ。そうだろう?

どうしてそんな状態に掴まってしまったのだろうね? いや、それも分かってるんだろうね。君も所詮、君が忌避していたはずの現実の一部なんだよ。現実はいつだって残酷だ。さあ、これに懲りたら、言葉のナイフを研ぐなんてつまらないメタファーで遊んでないで、まっとうに生きようぜ」