しょうもない近況報告⑤

いつまで続けるんだこれ

 

 

進捗じゃんけん

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麦茶

目覚ましを11時35分にセットしたのは本当にただの気まぐれで、それこそブラジルで蝶が羽ばたこうものなら俺は時刻を11時45分だとかそのあたりに変えていたのでしょう。目覚まし時計に怒鳴られて目を覚まし、その直後に11時35分にバイト先から電話が掛かってきたのはただの偶然ですが、にしても世の中は出来すぎているものだなぁと感傷に浸っております。

そこそこに実験室に行ってレポートを書き、家に帰ってイカをやり、会う約束のあった知り合いに会い、飯を食い、そうやっているうちに針は頂上を通過し、だらだらと酒を飲みつつこれを書いているわけです。一日が儚いですね。あまりにも儚い。夜になってみれば「ああ、勿体ないなぁ」と後悔をする。一日が素早く過ぎ去ってしまったわけでもないし、それこそ昼の自分は怠惰に時間を浪費していたわけです。最近はずっとそんなのだから脳内反省会が野党の怒号でギャーギャーワーワー五月蠅いのです。明日はどんな一日でしょうか。多分実験室に行ってぶつくさとプログラムを書き、全くうまくいかねえとぼやきつつ16時ぐらいに実験室を後にするのでしょう。そこからゼミに赴いたり飯を食ったりして、結局何もせず終わるわけですね。笑えねえ。「一秒も無駄にしちゃいけないよ」と脳内にいる藤原基央が指摘をするのです。本当のところは(エア)冬コミ用の原稿を書いたり、それとは全く関係のない別のssを書いたりしなければならないし、積読は3冊あるし、真面目にペンタブのことを考えなければならないし。

理性と本能のスタビライザーというフレーズは俺の口癖ですが、まさしくこれを用いるべきなんですよね。進捗を生まなければならないなら公にその宣言をすればいい。後ろめたさを感じた自分が勝手に片づけてくれる。

なので明日の目標を掲げておきます。1500字です。1500字書けなかったあかつきには俺の顔面に向かって第一宇宙速度で石をぶつけてください。

ところで、冷蔵庫の麦茶が今し方ちょうど切れてしまったので、誰か新しいのを買ってきてくれませんか?

 

表現者

自問自答の多くが「何故俺はここにいるのだ?」な人間です。その問いはいい意味でも悪い意味でも、あるいはどちらでもないときにも用いられます。あまりに最悪でどうしようもない空間が出来上がってしまったときに、どうして俺はここにいるのだろう?と考えて、さっさと出て行ってしまおうという気分になります。逆に出来すぎだなぁと感じたときにも、不思議だなぁと感じるのです。過去を辿ってみて、別段なんの必然もなく、でも確かにそこにその人間がいたり、その物体が存在しているときなんかには、本当に現実と夢の合間にいるような気分に晒されるのです。

偶然と必然ってどうにも確かめようがないんですよね。あたりまえです。自分たちは異なる世界線を自由に行き来する時空犯罪者ではないのですから。サンプルが1しかなければ、最尤推定で得られる確率は1か0です。本当の確率pは世界線の隙間に隠れています。これはどこかで言ったことかもしれませんが、時空犯罪をしてみたいというのはそういう意味で、つまるところ、自分がここにいない未来がどれぐらいの確率で起こりえたのか、気になって仕方がないのです。

話題は飛びますが、俺はどうしようもなく文章を書くことしか考えてなくて、俺からそれを奪ってしまえば、残滓にちょっとのギターを弾くことだとかがぽつんと残されるだけです。必然か偶然かはわかりませんが、しかし俺はどうも何かを表現することに刹那的快楽を覚える人種のようです。表現したいがために生きていると言ってもまぁ過言ではないようなのです。例えば白紙の自由帳に何を書き込んでやろうかと息巻いてあれこれ考えるような、そんな人間でした。昔から。何の疑念もなく、下手くそな漫画を描いていました。文章を書くのが好きでした。高校生のとき、誰に指図されるわけでもなく物語をメモ帳に書きだめていたりもしました。

一方で俺は昔から虚無で、つまりこれといった趣味もなく日々を過ごすような人間でした。つまり、俺のこの自意識過剰で表現したがりな、自分に一定の説得力が宿っていると勘違いしているような表現者としての性質は、幼少期に何らかのファクターによって決定づけられたような、そんなよくある代物ではないのです。何も俺の人格形成に加担していなくて、しかし俺は何かを表現することを好む人間になっている。

要するに、どうしようもなかったのです。何かを表現することを好み、何かをうまく表現できれば満足し、表現者としての性質を持たない人間を軽視するこの人格は、初めから俺という身体に練り込まれていたものだったのです。

この先も俺はどうしようもなく文章の話をします。その浅学と知識の希薄さをもってして、安物のエフェクターのような青い音を鳴らし続けるのでしょう。それは初めからどうしようもないことだったのです。

文章を書いていると、俺はなぜこの物語を必死に綴っているのだろう、という気持ちになります。何を必死になることがあるのだ。いくら面白いものを作ったとて、結局その弾丸は誰の心をも震わせないのです。正しく受け取ってもらえないのです。そんな無価値な行為に、何を躍起になっているんだ。本当にそうだ。俺の人生観なんて何の価値もなくて、それでもその人生観を物語に投影する。しかし、誰も俺が本当に伝えたかったことを正しく受け取っちゃくれない。この前知ったことです。

そんなに正しく解釈できないのなら、いっそ読まれない方がましだと最近は考えています。これは良くない兆候です。理不尽で、不条理な強要です。そもそも自分が出来ていないことを他人に押し付けるのは愚かに違いないのです。そんなことは分かっていて、それでも、そういった愚の骨頂が顔を出すことがしばしばあって、それを押しとどめるのに必死になっていたりします。

だから俺は、いっそのこと、それを嘘ということにして、承認を得るためだと言い張っているのです。一種の現実逃避だ。承認欲求を満たすため。なんと人間的で、正しく、健全な理由なんでしょうかね。

先天的な性質を取り扱うのには、こうでもしないとどうしようもないのです。ただそれを知ってくれたら、俺はもう満足です。あとは何だって構いません。

 

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欲しいものリスト

  • アンプシミュレータ
  • ペンタブ
  • こぢんまりとしたワークスペース
  • 遮光カーテン(誕生日に遮光カーテンをプレゼントしてくれる人がいなかったので)

 

モーニングスター

朝+星で見るからに痛そうな凶器になるのロックが過ぎませんか?

 

無印良品のお菓子

つい手を伸ばしたくなる