スケートボード

常々思うことだし何遍も言っていることだけれど(しつこい)、大体の人には複数の人格が備わっているという主張を信じている。別にその人格ってのは全く異ならなくても良くて、「ほとんど同一視できるが細かい部分に差異がある」だとか、「挙動こそ異なるが根底の部分は繋がっている」とか、そういうパターンでも複数の人格という言葉の範疇に含むものとしている。だからここで述べる複数人格というのは多重人格などという仰々しくアカデミックな概念とは異なる、いくぶんか実利的な存在である。(断っておくが、以下の文章は論理的な骨子を有さないものであるので、真面目な指摘は勘弁してほしい)

 

複数の人格を有していることを信じられないのなら、一人でいるときの自分と、誰かと会話しているときの自分を比較してやると良い。

 

例えば僕は、普段誰かと同じ空間を共有しているときの人格と、ひとりで文章を書いているときの人格を異にしている。文章を書いているにしても、ブログを書くのと小説の真似事をするのとではまた別だし、かと言って例外もある。

区別のために何となく名前を付けていて、人と会うときはそれはymdという人格だし、ブログを書いているのは時空犯罪者さんだし、小説家の真似事をしているのはラミンさんだ。最近はymdさんがブログを書いたり台本形式のssを書いたりもしているし、人と会っているときに時空犯罪者さんやラミンさんが顔を出す場合もある。自己紹介終わり。

 

本題。

人と会って馬鹿騒ぎをするときがある。カラオケに行って全力であんきら狂騒曲を歌わされたり、酒に飲まれてスマホを座布団に投げつけたり、普通に部屋で騒いだり。

後に一人になって、なんとなく茫然として、1ミリぐらい後悔する。もっと有意義な時間の使い方があったんじゃないか? 後悔とは言うけれど別に学ぶことはない。同じことを繰り返す。共感して欲しい。

今日思いついたことなんだけれど、あれは別の人格の羨望に依るものなんじゃないか?

ymdさんが馬鹿騒ぎしてるのをラミンさんや時空犯罪者さんが羨ましがっている。

そう考えると、それはもう滅茶苦茶にしっくりくる(語彙が貧弱)。

 

みなさんも、そういうことにしませんか? たくさん人格飼ってるでしょ? 名前をつけてあげてください。ちょっと世の中が分かりやすくなります。