ナイフ

何十年か前に、盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを割ったりする趣旨の歌詞の曲が流行ったりもした。子供心には意味を理解こそできても、そんな歌詞が流行る理由がさっぱり理解できなかったものだけど、今はその歌詞に共感する人の気持ちが少し分かった気がしている。

煙草を吸うのもそれに似ている。今でも煙草を吸いたいとは思わないけれど、それに準ずるような「過去の破壊」に手を掛けたがっている自分が確かに存在している。紫煙をくゆらせるのはきっと、「物体の破壊」と「他者への迷惑」のトレードオフを十分に吟味した上での最適解なのだ、と推測する。

他者に迷惑をかけない範囲で何かを破壊したい。その意志の裏側にあるものは対象の定まっていない怒りの感情だ。怒りといっても、それは一時的な苛立ちだとか癇癪だとかそういった類の紛い物と区別された、透き通るような色をした感情なのだと思う。日常生活で外界へいちいち表出する怒りには不純物が混ざっているから蔑視されがちだけれど、本来怒りは吸い込まれるように綺麗な、宝石のような赤色をしているのだと信じている。

だからこそ、この胸に宿った赤色を大事に燃やし続けていきたいと願う。赤色を濁らせる怠惰の息の根を止めておかなければならないと思う。その赤色は原動力だ。どこまでも真っ直ぐな武器だ。誰にも悟られぬように研がなければならない。その赤色でなければ貫けない壁がきっと存在する。