モバマスssと二次創作の話

追記:「他の作者からもモバマスでやる意味ないと思われてて草」というコメントを見かけたのですが、私は「モバマスでやる意味はない」と思ったことは一度もないです。むしろ私は、「モバマスでやる意味がないからやめろ!」みたいな多様性の排除につながる主張の方が排斥されるべきだと思っています。冒頭の導入部分しか読まずに確証バイアスに浸っている方がいるようなのでここに書きますが、私は時代劇ssの存在を全肯定しています。

 

 

真面目な話をするぜい

ちょっとssに対する私見をまとめておきたかったので

*ss:二次創作における小説/文字媒体

**モバマス:コンテンツの一種

 

モバマスss界隈には時代劇Pという人がいて、名前の通りモバマス×時代劇のssを書いてる。

 

時代劇に疎い僕でもこの時代劇ss群はそこそこに面白いと感じるものがあって、最近は更新がないから読んでないけど、更新があったときは結構なペースでssが書かれていたものだから、時代劇ssをものすごい勢いで読んでた。講義の90分を全部費やすぐらいに。

 

ところが時代劇Pと彼のssには一定の層にはヘイトが溜まるものらしく、アンチ的な人たちが文句をつらつら並べている状態なんだよね。

 

何が気に入らないのかっていうと、まとめると「モバマスでやる必要がない」から、らしい。

 

時代劇ssは言われてみると確かに、時代劇の登場人物をそのままモバマスの適当なキャラクターに置換しただけのssなんだよね。

 

でも面白いのは確かだから、そこまで否定されるものなのかな、とも思う。

 

時代劇ssとその作者が嫌いな人たちはさらに踏み込んで、「時代劇Pにはモバマスに対する愛がない」とも言っている。

 

さて、どうなんだろう?ちょっと私見を述べさせていただくよ。

 

 

まず、僕はどちらの意見も(モバマスでやる必要が無いから駄目だという意見も、面白いから文句を言われる筋合いはないという意見も)方向性として間違ってはいないと思う。

 

要は程度の問題であって、極端な例を考えてみれば、多少公式における像とずれているものでも、面白ければ読者に満足感を与えているのだから、謎の正義で作者を縛るのはあまりに独善的で破壊的だと思うし、どんなに面白い物語でも、モバマスというビッグネームを踏み台にして読まれるための出汁にしているものが蔓延してしまっては、ちょっとまずいことになりそうだ。

 

たとえば、二次創作像が公式の像を知らない人より先に伝わってしまって、間違った見識が拡散してしまうこととか(もとの像を知っている人からすれば不快以外の何物でもない)、その二次創作像を受けて二次創作に走った人が増えていくこととか、まぁ色々とまずい。

 

じゃあ何が許されて何が許されないのか?という話なんだけど、そもそも解決するしないという問題じゃないので、適度に誰かが問題提起をして、それを見た誰かが気をつけよう程度に思うような状況が平衡状態なんだと思う。みんなそう思うだろうけど。

 

モバマスのss書きの誰かが言ってたけど、二次創作のベースってのはバウムクーヘンの穴みたいなもので、読者からすれば「これモバマスでやる必要ある?(バウムクーヘンの穴って必要か?)」というssであっても、そのssとか作者にとってはコンテンツは、ss(バウムクーヘンそのもの)を作り上げるために必要なものだったりする。

 

だからある程度、コンテンツを踏み台のように扱ってるように見えるのは致し方ないことなんだけど、でも、踏み台にしすぎるのはやっぱりいただけない。

 

例えば、自分の経験とか行動そのものをティーンの少女たちに投影するだとか、自分の願望を悪いベクトルで物語に投影することとか。

 

上の文書いてて思い出したんだけど、先週の例会で「僕たちの人狼のプレイ過程とか結果をキャラクターに投影してss書こうぜ」みたいな話あったけど、あれやめたほうがいいよ。「もしもこのキャラクターたちが人狼をしたらどうなるか想像してみた」と「自分たちが人狼をしたらどうなるかをキャラクターに投影してみた」は全然別物だからな。後者はキャラを自己投影の踏み台にしてるだけだぜ。同様の理由で麻雀してるssもやめような。自己投影する相手はプロデューサーだけにしとけよ。

 

 

ある程度踏み台にするのは仕方ないことだけど、ssを書くのにどれぐらいのことを守るべきなのかってのは、僕個人が喋れるほど矮小な話じゃない(自明)。

どこまで守ればいいのかってのは常識の範囲とかなんだけど、二次創作の基本理念はあくまで「喋らせたいことをキャラクターに喋らせる」んじゃなくて、「キャラクターが喋るのを書く」んだと思う。僕たちがやっている/やるべきなのは、厳密には物語を作ることではなく、眠っている物語を掘り起こすことなんじゃないか。本当は。ssがshort storyの略ではなくside storyの略って説は僕が個人的に推しているもので、推してる理由はssにめちゃくちゃ長いものがあるのがひとつ、そしてもうひとつは、公式の提示した話には書かれていないけど、作品の世界の中では起こっていた『かもしれない』出来事を掘り起こすのがssの本来の姿だと思っているからだ。(本来などという烏滸がましい語を使うのを許してほしい、あくまで僕一人の思い込みなので)

 

一方で僕は、その本来の姿ではないss(ぱっと思いつくところで言えばSFとか)を否定しないわけなんだけど、それは、「そのssの作者はきっと、本来の姿ではないssを書いていることを自覚しているだろう」と思っているからだ。その自覚がないのに本来の姿ではないものを書くのは困るなぁ程度に思っている(やめろとか許さないとかそういう過激な感情はあいにく持ち合わせていない)。

 

結局二次創作たるもの自由の権化なので(悪く言えば無法地帯)何をしようが人の勝手だけど、公式にある程度の敬意を払って、ごめんなさいと思いながらちょっと踏み台にしたりしましょうね。完成したssを読んで愛がないって言われればそれは作品と作者が悪いんですよ。レッツ二次創作ライフ!

 

 

 

 

 

僕の書いたss『高森藍子「終末旅行」』

http://ssbiyori.blog.fc2.com/blog-entry-19003.html

少女終末旅行のアニメが始まったせいでエゴサが捗らない。