退屈なプラネタリウムと2LDK

 

 

自分嫌いとかいう体のいい言い訳をぶら下げて、偏愛とまではいかずとも世界の隅っこで淡々と包丁を研いでるみたいな自己愛と2LDKで同棲してるよな。自己愛は良い奴だよ。腹が減ったら野菜炒めとか作ってくれるし。多分嘘。3年前に買った醤油の蓋が未だ開かない。色とか似てるし深みだの香りだのを重要視する文化とかそこはかとなく最大公約数をのぞかせて来るから実質赤ワインだし、ここまでくればいっそどっちが先に消えてなくなるか競争したいな。自己愛は良い奴だよ。顔面をぶん殴っても馬乗りになって包丁でめった刺しにしても翌朝の挨拶がさわやか。さわやかな挨拶ができる奴と離島の定期便みたく一定ペースで家にお菓子を持ってくる奴に悪い奴はいない。真? 偽? わからない。ゲーテルあたりが証明していそう。

あっ ちょっと待ってよ ブラウザバックしないで

真面目に書くから許してよ。そうそう、自分嫌いの話。どう思ってるとかどうでもいいけどわざわざ人に自分嫌いって触れ込む奴は多分別に自分を嫌えてない。こんなの辞書にも書いてある。自意識が過剰、そもそも嫌えていない。いや、さ、他人の好き嫌いなんて覚えておくに越したことがないよね。飯屋に行くときに気を付けることっていくつかあるよね。好き嫌い、アレルギー、料理の量、食後の某ケア、向こうの財布の余裕、時間、喫煙席か禁煙席か、そもそも向こうが煙草の匂いを気にするか、あと一つはなんだと思う? これ分からない人はちょっと今までの人生を反省した方がいいよ。利き手ね。えっと、なんだっけ。好き嫌い? ああ。好きとか嫌いとか、もっと敏感になるべきだよね。

ゲームとかで好感度ゲージってあるけど現実に即してないよな。割と共存し得るし。好きなところと嫌いなところを10個ずつ挙げてってと言われて即答できるなんて思ってたのは昔の話で、今はあんまり人のことを見なくなったね。どうでもいいってのもなんだか違うけど、意識的に見ることを繰り返してたら酸素を吸うのも嫌になっちゃったんだよね。肥大化? 風船? あばたもえくぼってそれ比が100:1ぐらいの場合でしょ。1:1ぐらいにライクとヘイトが泥仕合繰り広げてたらそりゃヘイトが勝つ。やりすぎかなーって思って意識的に見るのをやめたら幾分か楽になった。何かを犠牲にしている。お前は知り過ぎた。響く銃声。そんな感じ。

考えすぎはよくないよ。というか、嫌いたいなら嫌えばいいし。考えても仕方のないことは考えるなって雑な指摘の分かってなさを俺はよく知っているから何も言わないけど、考えすぎないのは丁度いい。40℃。韻を踏んでみました。土産物みたいに言うな。わかる? 45℃のお湯に浸かって奈良漬けみたいになってるの、傍から見れば随分変なんだ。比喩が変? 俺は自分の比喩が好きだよ。解釈違い。比べて喩えると比喩なのに比べて例えると比例になるのおかしいよ。この世界はどこか間違ってる。今年まだ蝉みてないのにベランダに蝉の死体落ちてるし、リモコンもピックもなくしたし。這う這うの体。ズタズタ。JTR。ジャックって太郎に写像できるらしいし切り裂き太郎ってまぁ強烈にダサいし一周回って狂気だよな。狂気というか凶器だけど。別に上手くない。 

ね。マジで誰かベランダの蝉の死体処分してくれない? 1000円ぐらいなら余裕で払う。虫苦手なの。虫は苦手で犬はかわいい、これな~んだ? A.ルッキズム。最近鴨川沿岸を歩いてると犬によく遭遇する。犬はいいよ。公園で空が飛べる。常識。それは犬じゃなくてペリカンだな。鴨川、ペリカンとまでは言わないけど大概色んな鳥がいるよな。なんで鴨川って名前なの? かわいそうじゃん。サギとかトンビとか。

これは何?

ああ、えっと、あれか。戦わずして勝つ方法みたいな。奈良漬けの話? 子供の頃一番好きなのが奈良漬けで、二番目がみりんをふんだんに含んだ卵焼きだった。日本酒への嘱望がすごい。えっと、そうだ、人を嫌いになるんだっけ。なんだろうね。嫌いになる前に好かれるからわかんないや。これ多分好かれるのハードルが低いだけなんだよな。敵意を認識できない性質だからこうなる。よくあることなんだけど、だから、こっちが一方的に嫌ってて、向こうは別に俺のこと嫌ってはいないとか。無関心を含む。嫌わてるんだろうなーって思考はただの自意識過剰だけど、嫌われてる可能性もあるんだよなーと考えておくことに越したことはない。でもまぁ、大概、俺は何もしないから別に嫌われないと考えて生きてる。たぶん、みんなそうだと思う。意識的に悪のイデアとしての行動をとることがあって、でも実害を及ぼさなければそうそう嫌われることもないな。

みんなお互いにそう思ってて、疎ましく思ったりもして、でもそれが相手に伝わることがないから、まぁそういうシステムに助けられてるんだけど、結果的に平和なわけ。いいよね。平和。そういう意味で、敵意と嫌いの感情って違うよね。嫌いになることって往々にしてあるけど、あれも人間的って言葉で処理しちゃえるから、一方通行の愛に変えられるよ。そういう意味で敵意と異なる。敵意はよくない。ちゃんと向き合わなきゃいけないし。だから、自分の中に芽生えたその感情がどっちなのかは考えといた方がいいよな。そんで敵意なら顔面を殴れ。痛みが伴わなければどうしようもないし。暴力はよくないよ。顔面をぶん殴ったときぐらいの衝撃を与えろってことね。言葉でね。嫌いなら、まぁ、時間の問題だ。いつか愛せるようになるよ。嫌いだった学校の登下校路も、田舎だと見下してたあの街も、幼稚だと馬鹿にしてた同級生も、今じゃどうしようもなく愛おしいだろ。

愛なんて重いな。でもどうしても使ってしまう。代替がないんだ。博愛主義とか慈愛とかよく言うけれど、そういう文脈。きっと同じ思いが風のようにして心臓を掠めたのなら、それが正解だよ。ラブソングって言葉の中のラブではない。ATMとか電気椅子とかストレルカとかペルカとか、そっちの文脈。

いや、眠いな。もう寝るか。でもその前に食パン食べよ。

 

 

左利き用

 

 

横文字が好きだ。意味のある文字列もさることながら、それ以上に、カタカナを4つぐらい無造作に並べて、およそ無意味な文字列が完成するのがこの上ない瞬間だ。あれは意味と無意味の中間にあるのだと思う。全く意味がないわけではなくて、カタカナの羅列を目にした時にふっと過るイメージ――ちょうど香りが記憶を掘り起こすような、そういう悦楽がある。

意味と無意味の中間にいたい。これは汎用的な文脈においてである。正確さなんて必要ないという主張と、無意味なものはやはり無意味だというトートロジー、その真ん中で胡坐をかいていればいい。何につけても、中間が心地いい。100%に定まる意味が必要な場面とそうでない場面がある。辞書の説明に文学が必要ないように、文学に正しい解釈が必要であるはずがないし、要はそういうこと。

造語というものをよく用いる。主語は自分。漢字をくっつけた造語はあまり好ましくないけれど、道端に落ちているカタカナを適当に拾ってくっつけたみたいな単語は好き。どうしてかはわからない。たぶん、ハナから日本語を感覚で書いてるからだと思う。悪く言うと杜撰。良く言う言い方は知らない。

センスって言葉、わからない。感じたいと強く思えばそうなるとも限らないし、結局は経験という主張もいまいち腑に落ちない。磨き方も育て方もわからない。磨くものなのか育てるものなのかも知らない。コンビニに売ってないかな。

センスが欲しいって文言の意図するところは何なんだろう。欠如だけ見えてて具体的に何が足りないのかわからないってことか。そりゃ苦しい。ところで、センスが欲しい。

考えすぎると何が何だかわからなくなる。ゲシュタルト崩壊的なもの。尺度がわからなくなってくる。自分の中のものさしが、めちゃくちゃな形をしている。多機能すぎるナイフみたいな。シュールレアリズム。言葉に向き合うって何なんだろうね。思えば思うほど、大して向き合ってこなかった自分に自覚的になって、自責の念に駆られる。向き合ってこなかったというか、感覚で処理しすぎていたというか。

感じればいいと思うんだけどな。本当は細部なんてどうでもいい。いやどうでもいいってことは言い過ぎだとしても*1、リアリティなんて追求しすぎるものでもなかったりするし。作風。世界観。そういう世界観でしかものを語れないのは、多分、感覚で生きてきた功罪。自分はどう足掻けど他の人間にはなれないし、他人はどう足掻けども自分のようにはなれない。なりたいと思わせるのが仕事かも。一瞬でもそういう風を過らせて、ざまあみろと腹の底から笑う。いいね、それ。頑張ろ。

 

 

エレトロジー

 

 

早く寝たい。なんか寝れない。そういう夜があるよな。謎に不安がる夜。あれこれ考えて布団に包まってんの。寝たいのにな。何を怖がってんだろうね。一日の使い方を後悔して、明日こそ勉強するぞって思い直して、一晩経ったらさっぱり忘れてる。嫌だな。こういう毎日が繰り返されるのも嫌だし、勉強を現実逃避としかみなしてないのも。

というか冷めてるんだよね。昔はもっと熱っぽく文章を書けたと思うんだけど、煮詰まってるのもあって、なんか書く気が起こらないし。わかんねえ。上手く書けない自分に嫌気が差してるとかそんなんじゃなくて、単にネタ切れしてるだけだと思う。書きたいことがないな。うん。これはよくない。

明日が来るのが憂鬱になってきた。つまんねえよな、こんな毎日。何て言うんだろう、創作意欲? あれさ、手っ取り早く充電できたりしないかな。「必要な時には簡単に戻ってくれはしないもんだ」確かに。ね。昔はどうしてたっけ。記憶力が悪いからいちいちこういうのを忘れる。嫌だな。ね、創作意欲って何? てか創作ってなんだよ。わからん。今は何かを作ったとしてそれを見せたい相手がいない。昔はいたっけ? 覚えてない。もう充分じゃねえの。解釈されたい? 今更なぁ。積み上げたかった? 確かに。わりと積み上げてきて、もういいんじゃない? という気持ち。これ以上同じことをやっても繰り返しだし。繰り返して何になるんだろ? 再発明って意味ないよね。同じことを何度でも口にするって大事なことでもあるんだけど、別に大きい対象に向かってメガホン握って叫びたいことがあるわけでもないし。

ね。

承認も飽きたよ。とっくに飽きてる。飽和はしてないけど、これ以上は無理だ。もう動機がないよね。なんか、燃えないなって。俺だけいっつも突っ走って、周りが冷めてんの。俺も冷めてきたよ。他人のせいにするつもりなんてないけど、でも、そういうことだろうな。ああなりたいとか思う人間が俺にもいたのかな。今はいない。周りには。だから、どうでもよくなっちゃった。話し相手はいないし、話したいことも、話したくないこともない。そう思えるかなんて結局運だけど、やっぱり、他人のせいにしたいよな。夢を見させてくれよ。どっかでそう思ってんの。俺一人じゃ限界だな。うん。誰も助けてくれないし。

努力ってあれでしょ。大事だよね。必要条件だよね。どっかで見たんだけどさ、教師とかがいて、常に自分の能力より少しレベルの高いことをやり続けないと意味無いんだってね。うん。両方無いな。

無。無だな。無駄だったのかな。やっぱり。がっかりしてる。誰もついて来てくれない。教師とか贅沢は言わないから、一緒に横を歩いてついて来てくれる人がいたらよかったな。

 

 

ミスクグリーン

 

 

人間は圧力鍋です 色んな感情を詰め込めます うれしいね 呪詛と感謝 罪悪感 当惑 恐怖 期待 逃避 愛 今そんな気持ち

やり直せないことで溢れていて、同様にして掻き消せない言葉で溢れている。来る所まで来たとして、内部に不穏を抱えて、口に出さずにいる。憂鬱の色って何だろうね。多分俺が煙草をすったら、憂鬱の色の煙がふわりと漂う。それでバレるんだろうね。何? 溜め込んで一生ぶん生きればいいの? 少し考えてみたけれど、たぶんそれが正解なんだろうな。薄々気付いている。

下らないことでイライラするとき、そもそも別のところに理由がある場合が多かったりする。そうでなかったとして、感情を露骨にぶつけてしまわないように、自分から離れていく。よくあることだし、かくいう俺もよく使う。ああいう風な、満員電車から仕方なく俺が吐き出されたあとの夜が好きだ。貧乏くじ引いたのは俺かぁなんてため息ついて空を見上げて、汚い空だなぁなんて思ったりする。無数の感情が心の中で渦巻いていて、この怒涛こそが真に描写するべき世界だと考える。

謝罪って意味ねえの。そう思ってる。俺だって思いたくなかったよ。そりゃ場合によるけど、結果的に吐き出された人間に対して甘い蜜を吸いきった後にひらがな6文字で済ますって虫が良すぎはしない? 6文字だぜ? 適切な対価は5万字ぐらいだろ。何その事後承諾。それさ、単に悪扱いされたくないだけじゃねえの。善人にも悪役にもなれずにどうするんだ?

意味ないよね。意味ないよな、って思っちゃったんだし。俺が。僕はクズです。真に言うべき言葉はそっちの6文字じゃない? ねえ。こっちの方が漢字とか入ってるし教育レベル高いぜ。

善とか悪とか言うけど全員悪だよ。一回傷つけたらその時点で悪確定だし。何回傷つけてきた? その愚鈍な精神で、知らず知らずのうちに、何人の心を痛めつけてきたんだ? 後悔とか反省とか謝罪とか意味ねえの。中途半端だろそれ。傷つけました。傷つけられました。それでいい。

誰も助けてくれないんだって。遠方からじっと様子を窺って、矛先が自分に向かないように立ち回るの。不条理とかそんなんじゃなくて、それで当然。最適戦略だ。ずっとそう思ってる。そう思ったんだ。身を守るなら誰もいない場所に、誰もいない世界に行くしかないわけ。違ってるんだからどうしようもない。揺るぎないよ。他人がどうというのなら、とっくに諦めてたよ。だいぶ前に。軽蔑? 違うな。どっちでもいいよ。誰にも触れなければ俺は幸せになれる。俺が傷つける予定だった人間も報われるよな。

 

 

炭酸を飲む

 

 

殺すか殺さないかが大事なんだと思う。爆弾を抱えている。歩き方は、慣れてしまえば案外難しくない。無数の右と左の分岐がある。ずっと右を向いて歩いていなければならない。右とか左とかそのものに意義はない。重要なのは選び続ける方向だ。

 

昔見えたものが見えなくなることに気付くのは難しい。そんな類の比喩ならいくらでも思いつける。気付けないでいるのは少し怖い。いつだって気付いていないまま、殺し続けている。その可能性を秘めたまま歩む。枷とかでもなんでもなく、身体の一部だ。

 

ずっと大事にしていたものがどうでもよくなる瞬間がある。疑い始めたのだと思う。そういうことを繰り返して生きている。信じきれない時間を減らすために、毎日進んでいるのだと思う。誰にだってそういう熱がある。

苦しくはない? 無数に広がる選択肢の片方だけを選び取っていくのは、気が滅入る。滅入るけど、爆弾を爆発させてしまうのはよくない。そんな勇気はない。意味もない。そういう生き方をしている。誰だってそうじゃないか?

生き苦しいよな。殺すか殺さないか、無数のうちのひと通りを未来の自分に選んでもらうために、過去を潰して、食べて、かき混ぜて、疲れて動けなくなって、意識の底へ旅をする。気が触れている。本当に。

今までの努力をすべて水の泡にするような、そんなスイッチを押したくなる瞬間があるだろ。何度も言っている気がする。誰しもが爆弾を抱えている。現実でそれを爆破させるのは、まともじゃないよな。誰しもが理性をもっている。乖離をしている。

 

クジラの話だ。いつの間にやらクジラは泳ぎ始めて、それで、ずっとここにいる。想像結社がそこにある。だから、誰だって良かったのだと思う。何だっていいのだと考える。空を泳いで、宙を舞って、風に靡いて、消えない。そういう存在は、誰しもが抱えているものだと思う。限りなく心の内側にいて、確かな熱をもっていて、脈動している。消えて欲しくないなんて言わない。消えたら寂しいだろうなと思う。

その場所に住めばいい。無理をおしてまで外の闇を見に行く必要なんてない。中途半端な存在でいればいいのだと思う。強引に手を引いてくるような人間は放っておけばいい。本当にな。

 

 

マグ

 

なんか悪いので短い記事書いてすぐ寝る

日本語に関して妥協ができない人間になった、いつの間にやら

記事もあれこれ考えて、マクロな構想は練らないけどミクロな視点で日本語を練る

ブログの記事を書くぐらいのことで、結果的に一、二時間溶かす

読むのもそう、きっての遅読で、一文ごとに吸収できるところを探すから、量にもよるけど少なくとも一冊5時間ぐらいかける ヤバ

当たり前のことなんだけど、飛ばし飛ばしの30分で読んだ小説ってまるで無意味で、youtubeの動画に30分溶かすのと同じ

一時期量をこなそうと、相当なスピードで本を読んでた時期もあったけど(高校生の頃)、今となったらそもそも読んだ本のタイトルすら覚えていない 実家に帰ったら表紙も名前も知らないような文庫本が部屋に落ちている

割と信じていること やっぱり量より質だ 質を重視しない奴は何をやってもダメだよ[要出典] そもそも小説なんて20時間ぐらいかけて読むべきで、それをしないのはリスクテーク 骨の髄まで齧り取るに値するかどうかわからないからね そのバランスを取っての5時間

まぁ なんだ、この前誰かに言ったけど 書き方のメソッドみたいなのは玉石混交様々世の中にぷかぷか浮かんでるけど、文字書きIQの高い人が口をそろえて言うのは、とにかく読めということ 上手くなりたいなら読むしかないの 俺はその点書くことって無意味だと思ってて、いや無意味とまでは言わないけど、その分の時間を読むのに充てた方が効率的 まぁ、がむしゃらさなんて必要なくて、もっと理論ベースに書けばいいと思う マジで 読む、ひとしきり溺れたら書く、人と会わない時間を作る うん 偉そうに言えた立場じゃないけど、まぁ、それは真理 真理の対偶について考えることがよくあります 煮え切らないね 努力すればうまくなるのになぁ、と誰に対してでもなくずっと思っている ほんと、みんな本読もうな

 

近況報告(本について)


近況報告です

 

 

 

 

キーボードを打つ手が止まる瞬間が増えた。3時間を使って2000字程度しか書き上がらない。不調とかスランプとかじゃなくて、書くことが思いつかない。ガス欠。あまり経験のない感覚。書くことが思いつかなかったら、前提として筆を取らないのだし。夏コミまでには書き上げたい。

「文章が上手い人は天賦の才として己が自身の能力を授かっているのではなく、過去それだけ多くの作品に触れたからこそ上手なのである」といった言説を目にした。当たり前すぎることは当たり前すぎるからかえって誰も言わないのかもしれない。本を読むのは大事で、精読にせよ通常の読書にせよ、とりあえずやらないことには始まらないよな。それで重い腰を上げて本を読むのだけど、読むのが遅すぎて消化が追い付かない。これ以上早く読めるとも思えない。わかっていることは、とりあえず量をこなせば結果はついてくるということ。

読書を人に勧めるのは、そうすれば文章が上手くなるというのを知っているからだ。乱読を勧めるのは、人間、作者との相性というものがあるからだ。乱読は難しい。難しいのは読むこと自体ではなく、当たりを引くこと。当然のことながら、信頼できるソースをもとに読む本を選ぶ。何かの受賞作品を読めばとりあえずは外れないし、誰かに勧められるのもいい。だから、読みやすそうな大衆向けの本を4冊列挙する。ただし以下のいずれも読んだことがないことに留意した上で、読むかどうかを熟慮してほしい。ちなみに超のつく有名どころしか挙げないので、悪しからず。

 

 

 


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森絵都。一冊しか読んだことがないが、テンポよく滑らかに話を繋いでいく文体で、それが妙に心地よい。一冊しか読んでないのは単純に読めていないというだけである。もう少し新しい本がいいのなら、『カラフル』(2007)や『みかづき』(2018)も推しておく。

 

 

 

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宮下奈都。他の本は読んだことがあるのに、この本は未読。世間に対して斜に構えているからか。本屋大賞受賞作品で、映画化されたのもあって流石に知ってる人も多いと思う。ピアノ奏者の話だとかいうのを小耳にはさんだ。作者のPNの読み方にちょっととまどうが、「みやした なつ」と読むので覚えて帰って欲しい。北海道に住んでるみたいで楽しそう。宮下作品はこれまた一冊だけ読んだことがあったが、びっくりするほど情報の提示が上手い。目の前に読者に提示したい情報の一覧があったとして、それらをすべて滑らかに繋ぐような芸当が自分にもできるだろうかと考えた。

 

 

 

 

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本屋でアホほど見る。木皿泉。今日はこの本をいよいよカートに入れかけたが、帯についている宣伝文句が普通に苦手だったので買うのをやめた。そうなってしまうと多分俺は今後この本を買わないので(ごみ)、読んだ人は感想を聞かせてくれたら嬉しい。作者は「きざら いずみ」と読むが、ひとりの人間ではなく、夫婦の共著におけるPNらしい。共著とか俺なら絶対喧嘩して方向性の違いで解散すると思う。どうやってそのあたりの折り合いをつけているかについてはwikipediaに詳しい情報が載っている(木皿泉 - Wikipedia)。最近の本屋では『カゲロボ』をよく目にする。本屋通いが趣味の人はわかってくれるだろうと思う。

 

 

 

 

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教科書に載るレベルの大衆文学だし、いくらなんでも流石に読んだ。色々得るものがあるので、読むといいことがある。辞書を作る話で、個人的には"言葉の意味を日本語化するとはどういうことか"についての表現が印象的だった。印象的だったがしっかりとは記憶していない。掴んだと思っても指の間を砂のようにすり抜けていってしまう、みたいな表現だった気がする。間違っていたらごめんなさい。最近の本屋では『愛なき世界』をよく目にする。

 

 

 

 

以上。女性の書く文学ばっかりだ。偶然。読みたい本がなくなったとき、どれかひとつでも手に取ってくれたら、と思う。

amazonのページには電子書籍版の値段も併記してあって、これがなかなか魅力的だ。もっとも、個人的には紙の本を推している。いくつか理由があって、

  • 本屋が好きで、電子書籍によって紙媒体の本を売る小売店が駆逐され得る
  • 上と似ているけれど、本屋が棚を作ることで(読む気のなかった本に惹かれることがしばしば起こり、)読書が捗る
  • 世界観
  • 本の虫というメタファー(ヒント:紙魚という虫がいるだろう、あれになりたい)
  • 他人に貸せる
  • キンドル 持ってない(じゃあ買えよ)

たぶん一番大事なのは世界観な気がする。あの直方体にありったけ想像の世界が詰まっていると思うとたまらない。それから、紙の匂いが好きだ。心が躍る。物質としての本に囲まれる瞬間、心から楽しいと思える。たぶん、そういうことだ。

もっと本を読みたいと思うし、読んでほしいとも思う。自分にあった本を見つけてほしい。たくさん読んでくれ。読めば読むほど、より上手に書けるようになる。もし読むべき本がわからないのなら、ぜひ、代わりに選ばせてほしい。よろしく。