東京旅行 4日目

流石に日曜日には工事をやらないだろうという安易な思い込みは死を招く。今日の目覚ましも相変わらずに工事の音だった。昨日一昨日と異なる点は、起きた時間が11時半だったということである。寝すぎだ。

桜並木の下を通って駅に向かった。真昼間から桜の下で酒を飲む老人たち。平和という平和を謳歌していてうらやましい。駅前で卒塔婆を束ねて抱えた人とすれ違った。葬儀屋にでも就職しない限り卒塔婆を持った人とすれ違うことは無いのだろうなと思ってみても別に感慨深くはなかった。

渋谷に行った。軽く昼食をとって、渋谷の眺めのいいカフェでssを書いていた。2時間ほど滞在したが、ちょくちょく目の前を風俗求人のアドトラックが通るので笑った。アドトラックの運転手はどんな気持ちで渋谷をぐるぐる回っているのだろう。賽の河原で石を積む人に近いんだと思う。

相変わらず筆は乗らないので、取材も兼ねて電気屋へと赴いた。人込みの中を突っ切って進むのが苦痛で仕方がなかった。99万円の大画面テレビが置いてあったが、映っている映像がセンスのないもので、宝の持ち腐れが極まっていた。

近かったので東急ハンズにも行った。中に入って初めて、アイマスコラボをやっているのを知った。一階から七階まで上って下りてみたけれど、店内の様子はあまり目に焼き付かなかった。東急ハンズは目的意識がなければ来てはいけない店だと思う。

晩飯を恵比寿で食べる予定だったので、渋谷から恵比寿まで歩いた。

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歩いた道と並行して川が流れていた。何という名前の川なのかは知らない。建物の裏側が見えるのが滑稽だった。

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これは同じ地点から逆を向いて撮った写真である。画面中央に映る緑色の建物は建設中のビルである。ずっと前から建設中だったこの緑色のビルも、外壁の25%ぐらいが完成していて、このビルと自分とは全く無関係なのに、ふとした瞬間に我が子の成長を感じた親のような気持ちになった。

渋谷は恵比寿に移り変わる。恵比寿では特殊な人間とよくすれ違った。コンビニから3人の芸能人感のある顔をした女子高生がチキンを貪り食いながら出てきたり、ピンク色の服を着た、有体に言ってしまえば変人感のある人2人とすれ違ったりした。老人が警察官相手に大声で怒鳴っていて、そいつを核融合炉に放り込みたい気分になった。あいにくそんな特殊能力は持っていなかった。

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恵比寿の駅の近くには水色の歩道橋があった。随分と虚しい色をしているのである。歩道橋からは桜が綺麗に撮れた。僕以外にも3、4人が満足げに桜の写真を撮っていた。平安時代に埋められたタイムカプセルが平成時代に開かれる瞬間である。

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恵比寿駅の東には公園があった。せっかくなので名前を調べてみると、恵比寿東公園というらしい。ワルイージもびっくりの安直なネーミングである。公園には子供が大勢いて、何が少子化だよという気持ちになった。枯れ木やビルを背に写真を撮ったが、目の前を通り過ぎた虫が映り込んでしまった(空に浮かぶ黒い点)。目の前を通るなら一声かけるとかしてほしい。これだから虫は。

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同じ地点から逆を向いてもう一枚。月に盃、萩に猪、鳩に桜。いまいちピンと来ない。

17時ちょうどになると、故郷と同じ音楽が公園のスピーカーから鳴り始めたので驚いた。西へと足を進め、恵比寿駅東口へと向かう。途中で散歩中の柴犬(茶色と黒いの一匹ずつ)とすれ違い、Inu Kawaii という気持ちになった。

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恵比寿駅の東口から写真を撮った。道がどこまでも続いている。ただそれだけで、なんとなくエモい気持ちになった。

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拡大した写真。どこまでも続いているが、遠くは掠れて見えない。一生行くことがないであろうその先は、一種のメタファーとして目に映った。未来永劫自分がたどり着けない境地であるとか、二度と実感をもって立ち現れない過去であるとか━━何故か心が痛む。夕焼け色をした景色に憧れてそちらの方向へ足を進めてみても、太陽の方角に歩いているだけで、目が眩む茜色の街はあくまで架空なのだ。━━

そんなことを考えていたが、カメラの充電が突如切れたり、行こうとしていた店が抹茶館のごとく行列を作っていたので渋谷に舞い戻って食事を摂る羽目になったりして、そういうインスタントな感傷は爆ぜたシャボン玉みたく失われてしまった。

というわけで、相変わらず何もしない一日だった。

明日は再び東京の北東部へ向かう。ちょっとくらい進捗生みてぇ。早くssを書け。

 

東京旅行 3日目

今日も今日とて工事の音で目を覚ました。きっかり8時間寝たというのにさらにもう8時間ぐらい眠れそうなほどに眠かったのを記憶している。駅前ではちょっとした祭りをやっていたようで、吹奏楽部らしき中学生がシュガーソングとビターステップを演奏していた。対する見物客は高齢者ばかりで、誰一人として原曲を知らなそうなのである。

今日は東京の北西を回った。

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最初の目的地は池袋だった。どこまでも突き抜けるような青空が浮かんでいた。東口を出た先にあった中池袋公園には桜が咲いていて(画像を参照)、フリーマーケットと称して安いハンカチやらチョコバナナやら仮面ライダーの可動式ベルトの玩具を売っていたりした。意地でも花見させまいという気概なのだろう。高2までフリーマーケットのフリーをfreeだと思っていたことを思い出した。

池袋で昼ご飯にありついて、その足でカフェに突入した。カフェの店員と店に入ってきた人との以下のような会話、「いらっしゃいませ、おひとり様ですか」「面接です」というのが印象的だった。五十嵐響子のssを書いていたが、いまいち筆が乗らなかった。

15時頃に池袋を後にする。次の目的地は練馬で、3時間ほど時間がぽっかり空いているので、折角だし練馬まで歩くことにした。おおかた東京メトロ有楽町線の真上を歩くルートである。過去に書いたssの線路の上を歩くシーンを思い返しながら、池袋-要町-千川-小竹向原-新桜台-桜台-練馬 を歩いた。

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池袋を僅かに南に行ったところにとんでもない高さの建設中のビルがあった。あまりに高すぎて流石に恐怖心を覚えた。小さいころにJR京都駅の天井を見て感じた戦慄によく似ていた。しかし写真だとせいぜいコストコの高い棚の上にある商品程度にしか高く感じられないのが残念でならない。

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別アングル。右の建物がさっきの高いビルである。ここまで高いと、上で工事をしている作業員も怖いもの見たさで下を覗いてみるんじゃないかと推測した。高いところから下を覗くのは落ちるかもしれない恐怖として片付くけど、下から高いところや巨大なものを見たときに感じる恐怖心の源泉は一体何なのだろう。ずっと昔から血に流れているバベルの塔の教訓なのかもしれない、と考えると非常に納得がいくしオカルトである。

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池袋西口公園。桜はここでも咲いている。公園の至る所に謎い前衛芸術的なモニュメントが置いてあった。多ければ多いほどいいというものでも無いように思う。

手に水晶を持った大道芸人が見世物をやっていた。水晶を地面に落とさずに指の力だけでぐるぐると手のひらの上で回していた。曰く水晶は東急ハンズで売っているらしい。ハンズ本当に何でもあるんだな。

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要町は特に何もなかった。めぼしいものはやはり東京ではどこにでもあるジョナサンぐらいで、利用用途の分からないけれどとにかく高い何か(建物ですらない)が地面から突き出しているのが本当に意味不明だった。セーブポイントみたいなレンガ造りの道に鳩が大量にたむろしていた(上の画像)。

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千川を通り過ぎて、小竹向原である。真っ直ぐな道を妨害するかのように小学校が建っていた。校庭と区切り用のネット、そして相変わらず咲いている桜が目に映る。フィクションでよく見るような光景そのものだった。

小竹向原から先の道はレンガの階段を上った先にある。駅前(といっても地下鉄の駅だから、人が想像する駅前とはかけ離れたもので、ベンチが3脚あるのみである)から電柱を撮った。電柱はいい文化。独りんぼエンヴィー。

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アベリアの植えてあるレンガの道をしばらく歩くと交差点に辿り着く。交差点を左折し、環七通りを歩く。

日本のどこに行っても車屋のある通りは存在するし、大体それは瀟洒に映る。どうして環七なんて名前なのかずっと考えて歩いていたけど大したものは思いつかない。調べてみたら環状線7号を縮めたものらしく、無味乾燥で面白みがない。

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新桜台を通過し、西武池袋線をまたぐ。画像はその高架橋からの一枚である。僅かに夕方の茜が空に絵の具一滴を落としていた。エモい。なんとなく、この先の線路がどこまでも続いているような錯覚を覚えた。

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千川通はこれでもかと言うほど桜が咲き乱れていた。桜が咲いているからか、頻繁に犬とすれ違った。それから道幅が京都の5倍ぐらいあった。

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練馬までのラストラン。途中にあった公園のベンチで少し本を読んだ。冷たい風が容赦なく体の温度を下げるので、20ページほど消化してのち読書を断念した。

練馬駅前は繁華街の様相を呈していたが、一定の田舎っぽさがあった。JR芦屋みたく駅の2階からペデストリアンデッキが伸びていた。夕焼けの写真を撮ろうとして、閑散としたその上を歩いた。最近のカメラは太陽を直で撮っても大丈夫というネットの文言を信じて、一瞬だけカメラを太陽に向けて写真を撮った。写真の中の太陽も十分に目が眩む。

ペデストリアンデッキではラップバトルに勤しむ若者たちがいて、本当にそんな人種が実在したのか、と得も言われぬ感動を覚えた。

 

練馬でご飯を食べて、そのまま帰宅した。歩いている当時はすごく楽しかったんだけど、これを書いてると「こいつ何が楽しいんだ……?」と思わずにはいられない。当の本人が幸せだったんだしいいや。

明日は渋谷に行く。何をするわけでもない。ただ、渋谷交差点のあのスタバ、一度は行ってみたい。

 

東京旅行 2日目後半

私は今布団の中でこれを書いている。今日書いてた記事の続きを書く予定である。が、あまりに書くことがない。とりあえず撮った写真貼るかと思って撮った写真を眺めてたけど、そもそも5枚しか撮ってないし、被写体に物珍しいものはひとつもない。

 

あの後、秋葉原ルノアールに入店しssを書いた。あまりに滅茶苦茶なものになったので速報に投下するつもりはない。こうしてまたひとつの作品が闇に葬られるのだ。

ssを書き終えたその足で小伝馬町へと赴く。美味しいハンバーガーを食べた。母親と子供×2の4人組が、ひたすら「お花見に行くことになったけどお弁当作るのめんどいし料理に自信がない」といった話をしていた。ハンバーガーは美味しかった。ハンバーグがレアで(ファミレスとかでペレットに乗せて焼くようなハンバーグステーキに近い)多幸感がとめどなかった。ただ1600円だったので財布はボコボコにされて死んだ。

にもかかわらず、秋葉原に戻ってanionカフェに行った。馬鹿か?

空想探査計画のダイマをした。コメント欄に「みんなも日野茜を愛でよう!そして空想探査計画を聴こう!」と書いて箱に入れてきた。尺の都合で空想探査計画は流れなかった。マジで何しに来たの。ただ、カフェで(最近ssでお世話になっている)ちゃんみおのドリンクを飲んでるときに思いついた「爆弾高気圧・日野茜」ってフレーズが妙に自分の中でツボってる。使えるタイミングで使っていこうと思う。そんな機会一生来ねえよ馬鹿がよ。

そのまま山手線などを駆使して布団へと戻ってきた。全体的に、使った金額の割にハッピーになれていない。積読は一冊も消えてないし。明日は積読を殺したい。

 

以下、画像欄――

 

 

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神保町の交差点から見えたクレーン。東京はあちらこちらで工事をやっている。そういえば京都ではあんまり工事をやってないなぁと思った。画像では伝わり辛いかもしれないけど、被写体のクレーンは結構高い位置にあって、なかなかにスリリング。タワーオブテラー。

 

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神保町交番→。光の射している場所と影になっている部分が判然としている。それぐらい快晴だった。ここから写真を撮ったのは赤レンガで出来たベンチみたいな建造物があって写真を撮りやすかったからで、この風景をわざわざ被写体として選んだことに理由はない。

 

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神田川沿いにある喫煙所の近くから撮った写真。奥の高架の下に川が流れている(写真には映ってない)。あのビルがこっち側に倒れてきたら川にダイブするよなーとかそんなありもしない終末論を唱えながら写真を撮った。

 

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 同じ場所から撮ったもの。夕焼けは日本のどこに行っても綺麗(過言)。夕焼けは儚いから綺麗だよなーとか陳腐なことを考えていた。高架下の時限爆弾。

 

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都内では至る所で桜が咲いていた。京都や兵庫にそんな節は無かったので驚いた。ちゃんとニュースを見ていない。真ん中の青信号から推論すればわかることだろうけど、信号待ちで暇だったから撮った。夕方から夜に切り替わる時間帯に撮ったものなので、なんとなく全体的に青い。右上と左下から漏れているオレンジ色の光は単なる街灯の光である。

 

事実は小説よりも奇なりとかよく言うものだけど、あくまで奇は奇であって、その奇を見たところで面白くもなんともない。持ち前の想像力で話を少しだけ膨らませてみても、あくまで限界がある。事実は奇怪で、それでいて退屈だなぁと思う。そして今は、退屈で、退屈だから美しいんだよなぁ、とも思えている。街*1ってそういうものだよな。

誰が指図するともなく雲はどっかへ飛んでいくし桜は咲いている。 虚ろでしかないように見える街も、無数の呼吸によって支えられているんだなぁ。不思議だ。

明日は節約するぞ。

*1:米津玄師を聴こうね!

東京旅行 2日目前半

僕は今、東京のとある通りに面したとあるカフェでこの文章を書いている。目の前を人やら自動車やらが通り過ぎていくのだが、眺めが悪い。カフェの天井とビルの屋上の隙間に目を遣ってみると、煙のような速度で雲が通り過ぎて行っているのが見える。何もかもがどうでもよくなるような空しい青空だ。

 

ちょっとした理由から東京に一週間滞在することになった。今日はその2日目である。降っては止み、止んでは降るというけち臭い昨日の雨とは裏腹の天気だ。洗濯物がよく乾くのでありがたい。

n度寝から目を覚まして、洗濯物を干して電車に乗った。数十分ほど揺られて、神田は神保町に辿り着いた。昼ご飯にカレーを食べてやろうという魂胆である。何でも行列店とのことだったので、11時に開店凸をした。11時00分30秒ぐらいに入店したのに店内には人がそこそこ居た。相席のテーブルに案内され、ビーフカレーの辛口を注文する。

周りのサラリーマンは大抵が中辛や甘口を頼んでいたので、ざっこwとかそういう言葉を反芻しながらも、内心で戦慄する。一体どれだけ辛いカレーが運ばれてくるのか。注文を確定してしまった僕には対処する術がない。辞世の句と戒名を考えながらカレーが来るのを待っていると、何故か「小ぶりのふかした芋2個」と「バター」が運ばれてきた。これは何。いや芋だけど。周りの人の様子を窺ってみる。反応はまちまちだった。なんか普通に芋にバター塗って食ってる人、芋を半分に割って放置してる人、目の前に札束を置かれた猫のように芋を意に介さない人。人類の多様性。散々脳内会議を行った結果、カレー食ったあとに芋2個は重いだろということで、1個だけ食べて、もう1個はまるまる残しておいた(カレー食った後で食べた)。

これは食レポではないから、運ばれてきたカレーに関して詳らかにレポートする気は起こらない。美味かった。牛肉が美味い。ライスにチェダーチーズがかかっていて、味に深みを与えていた。確かに辛かったけれど、死ぬほどではなかった。カレーは1480円で、それが財布に少しのダメージを与えた。

食事を終えた僕は大通りを右に折れた。神田神保町と言えば言うまでもなく本とカレーの街で、文字通り古本屋が林立している。本当に。なんとなく道沿いの本屋の数を数えてみた。多いとはいえ男女男男女男女ぐらいかな、と予想していたけど、現実は本屋本屋本屋本屋本屋カレー本屋本屋いきなりステーキ、ぐらいの塩梅だった。さすがに多すぎるでしょ、古本屋。ある区画は5連続で古本屋だった。しかもどの古本屋も結構に人が屯している。樹液に群がるカナブンの様相でおじいちゃんたちが古本を品定めしている。ここまで増やしてなお需要と供給のバランスが崩れないのは不思議だなと思う。

通りをさらに進むと小川町に差し掛かる。ここまで来ると本屋勢力は僅かに影を落とし、代わりにスポーツ用品店がアホみたいに台頭している。理由は定かではない。たぶんそういうものなんだと思う。ここから御茶ノ水の方へ行くと楽器屋も異常発生していて、これまた理由は分からない。調べたら出てくるのかね。

 

僕はこれから神田の方へ向かうので、さらに通りを真っ直ぐ進む。予定は特に決めてないけど、多分ルノアールで水出しコーヒーを飲むんだと思う。財布が死ぬ。財布を殺してでも美味しいご飯を食べようと思う次第。

オキシジェンシリンダー

変な夢を見ては、それを覚えている人間だと思う。それはヘンな動物に追いかけられて、唯一の逃亡手段である車が故障をしてエンドロールが流れたところで目が覚める夢だったり、地球が指折りの高山地帯を残して一面が海に覆われ、生き残れないことを悟った人々が海を泳いで遠ざかるのを背後でずっと眺めている夢だったり、水飴に溺れているのに永劫死ぬことができない夢だったり、理由もなく街が壊れていく夢だったりする。でもこんな話を誰かにしたこともないし、無意味だと分かり切っていることをわざわざ人に告げるような人間は少数派を煎じて気を飛ばしたものだと思うので、世の中の大半は変な夢を見ては、忘れることが出来なくなったそれを徒に血の中に通わせているのだろうなと邪推する。

ふと何かを思い出すことがある。角張った横文字で言うところのフラッシュバックという概念だ。こういうときトリガーは得てして五感のいずれかで、(他人との特殊性を強調する意図は全く含意されない表現として用いるが)私は嗅覚と聴覚に多い。そもそも味覚や触覚で何かを思い出すことは稀であるし(味覚に関しては考えられないこともないが)、視覚の場合はフラッシュバックなどという仰々しい表現を用いない気がする。私は平安貴族ではないので情趣がどうたらとか感傷がどうたらとかそういった類の話題はここに持ち込まないことにするが、聞き覚えのある音や触れたことのある香りをふと抱いたときに感じる寂寥感の正体は、思い出の当事者であった自分の内なる世界から溢れ出した無数の感情への渇望なのだろう、と私は結論付けている。記憶というものは時間によって擦り減らされるからこそ、人は何らかの手段で――写真を撮ったり文字に起こしたりして――必死に足掻く。忘れないでいようとする。生きとし生けるものが迎える運命とやらを記憶もしっかり背負っていて、しかも灯火の消えた後には死体も残らない。そのうえに記憶は足が早い――簡単に鮮度が下がる。摂理は大概残酷で、畢竟人間はそういったオプショナルな利得のために脳のリソースを割くような仕組みをしていないのだろう。

脳が忘れてしまったことを身体はちゃんと憶えていて、死んだ私の記憶は私の血を巡っている。一年前の私がどんな風なことを考えて生きていたのかもう誰も知りえないのだけれど、私が当時抱きしめた無数の感情は、私の脳から指先を伝って、一年後の今日になって初めて外の世界へと溢れ出していく。

もう一度忘れ物を取りに行こうと思う。記憶の海で溺れそうになりながらも、それはまだ呼吸を繋いでいる。

躁病日和

自分を主人公だと思っている人間が嫌いだ、と思うことがよくある。それは私と性別が同じで私と血の繋がった人間を見てよく思うことで、それ以外の人間には無関係のことだ。だからもし誰かがこれを読んで、ナイフを首元に突きつけられた気分になったとしても、それは過剰な自意識の招いた悲劇であり、私は貴方を刺すつもりはなかったのだ、と断っておく。私にはありふれた一般論を論じるほどの人生経験も説得力もないのだ。

一年前の私は、自称主人公を嫌うと同時に、心のどこかに主人公になりたがる自分を飼っていた。私はそれを自覚していたし、感情が熱暴走を起こして自己顕示欲の鬱憤を霧散させようと躍起になる自分を嫌ってもいた。勿論そんな上っ面だけの自己嫌悪は、結局のところ自分への言い訳でしかなかった。

感情というものは心の中で輪廻転生を繰り返す生態系の一角を担う生物と同じで、殺しても殺してもすぐに湧いて来る。ずっと前から嫌いだった、他人によく見られようとする自分を二度とこの世に現れないようにするために必要だったことは、自分を殺そうとする意志ではなく、効き目のある物質の投与––分かりにくければ薬とでも置き換えれば良い––だったように思う。心のどこかで穀潰しをしている自称主人公は、私が芯から心を震わせられるような、それに打ち込む自分を真正面から認められるような趣味を見つけてから、風船から空気が抜けるようにしぼみ始めた。確かなものが自分に宿る感覚は、派手にナイフを振り回さなくとも、嫌いな自分に最後通牒を突き付けてくれる。

だからこそ今の私は、主人公になりたがる人間を、自分を主人公だと思っている人間を、この上なく純粋に「嫌いだ」と断言できる。この嫌悪感の齎すものは、自己中心的な考えを元に他人を足蹴にする人間の稚拙さを嘲笑うようなシニカルな感情でも、自称主人公のもつ他人に害を与えるという特性に対する怒りのような感情でもない。自分を主人公だと思い込んでいる人間は、そんな手段を取るまでしないと自分を承認できない人間なのだ、という原始命題的な事実なのである。

血が繋がっているという救いようのない事実と、その事実から私はまだ逃げられるんだという自信が、今の私の血の中には確かに流れている。

 

洗濯物を干しながら、ふとそんなことを考えていた。

ハリボテ

無意識に散らかった文章を書けたのは何かに怒っていたからで、何かに怒れるのは少なくとも怒りの対象が存在するときだけだ。生活は絶対に止めることのできない鉄道か何か、大きくて人工的な夜の生き物みたいなもので、僕は車輪の下を想像しながら客室で眠っている。そんな風な人工的な安寧の中で閉じこもっているうちに過去のことをすっかり忘れてしまったのだろうか。果たして僕はそもそも何に怒っていたのだろうか、もう何も思い出せない。

 

日本語の濃縮率は素晴らしいと思うときが誰にだって訪れる。洗脳兵器、未来永劫、永久機関、時空犯罪......神にアジダハーカという名前をつけるように、漢字4文字の箱に無茶苦茶なものを押し込んできた。ハリボテである。......世界平和。人は絶対に存在しないものにも名前をつけるのである。

平和は主観だ。ディストピアは当の本人たちからすれば平和そのものであり、逆にディストピアでなければ平和たりえないような気もする。平和の裏側にあるのは真実であり、真実を無視することが平和への近道ではないか?何も知ろうとしない態度が平和なのではないか?すべてを風化させることが平和そのものなのではないか?

靄のかかった怒りを覚えなくなったのは何かと無関心になったからなんだろうか。毎日が平和で、それでいて怒りが原動力となってものを書いたりできたから、少し寂しい。

 

11月11日は近所の交差点で誰かが死んだ日だ。僕は偽善者でないので胸は痛まないが、少しずつ、その事故に関わった人の怒りの感情が薄れて、事故のことが風化していっている気がする。それが正しい世界平和だ。忘れちゃいけないことなんて一つもないんだ。